高津物語 連載第八三六回 「富士講と大山講」
『大日本国中不思議競(くらべ)』(国立国会図書館所蔵)に「三国一富士山」と欄外筆頭に、富士山が登場している。富士山の次には「信州戸隠山」と「常州筑波山」「加州白山」と「肥後阿蘇山」が並んでいる。
この次に「和州大峯山」から、待望の「相州大山」が初めて顔を出す。
大山街道ふるさと館講座を受講して、痛感したことは、多くの先生が共通して大山講を組織する際に、男山の「相州大山阿夫利神社」を第一に考え参拝してから、次に「女山」を参拝したという慣行を、念頭に入れて行っていたということである。
もちろん、同年一回というのは無理な話、ある程度の余裕をもって、数年間に一回のノルマを消化したと思われる。
或いは「女山」の富士山に限っては、一生に一回程度に限定して、登ったのかも知れないと思う。
富士登山は、苦しく辛い。私も大学一年生の夏に、学友と吉田口から登り始め、迂闊にも装備の不足と登山備品の絶対的不足を痛感することとなった。
殆どの人は、私と同様のアマチュアが多く、プロの登山家に迷惑の掛けっ放しだった。
問題は、富士山七合目の高地(二千五百米地点)になると、酸素は薄くなり、呼吸困難に陥るという事。実に無知な人々が、次々に救助要請、担架で運ばれて行くのを見た。
私も他人事ではなく、激化する寒さと薄い酸素に辟易しながら、富士登山の別の一面を知らされた。
カンテラの列が続いている。この先十米先迄、自分が辿りつけるかが問題だったが、早朝の雲海に映える御来光の素晴らしさに目を奪われ、帰路は金剛杖を足代わりに、数十分で下りてきてしまった。
この様に考えると、富士山と大山から始まった”大山詣り”は、一般庶民の登山としては、今迄述べてきたように種々な無理があった。「江乃島弁財天」の登場は、話題性は元より、機知にとみ、最高の客引材料を含んでいた。何よりも”笑い飛ばせる”という落語の”オチ”が、大山詣りを聞いた人々に、独特の後味を齎(もたら)したに相違ない。
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