高津物語 連載第八四九回 「第八五〇回」
平成八年(一九九六)五月に『タウンニュース』高津区版が創刊され、今年で満十八年、次号で第八百五十回を迎える。
当然、創刊号から書いてきた私の『高津物語』も、八百五十回の連載を迎える。
地域の歴史、郷土の歴史を回顧し、書き留め、後世に残す絶好の機会だと受け止めて、簡単に引き受けた記憶がある。
地元の郵便局長として、地域貢献の一環として郷土の歴史を考察する事は、自らの使命だと認識していたから、苦しくなかった。何よりこの十八年間、何事もなく健康であったことを、感謝すべきと思う。
が今年…結婚五十年極めて順調に来た私達の生活は、昨年の妻の転倒による三カ所骨折の入院事故以来、大きく変貌した。
それに続いて、私自身が今年五月に悪性腫瘍が発見され、治療のため地元の病院で、生まれて初めて入院生活を体験したのだ。
完治しない体で、足を引き摺りながら病院に見舞に来てくれる妻の苦痛を思うと、人間の運命の儚さを知り、変われるものなら変わりたいと、切に思った。
入院中、病院のベッドでは、手許に資料がないため『高津物語』連載は、ちくま文庫『志ん朝全集』所載の『大山詣り』等を転載してしのいだ。
落語の正調「大山詣り」は、正式に一度は登場させたいと思っていたから、絶好の機会と思ったからだ。
記者さんには、原稿を取りに病院まで出向いて貰って、通常のパソコン原稿で無しに、手書き原稿を渡した事もあった。
今月、退院後初めて、この十一年間ずっと続けている高津高校一年生の総合学習「地域を知る」の授業を、同校体育館で行った。
人間二カ月も寝ていると、足腰が弱くなり、歩行が困難になる。だから、高津高校までは全てバスを使って行った。
冷房の利かない同校体育館で、病後の体が大丈夫か、百五十人近い生徒さんに満足して貰えるか、随分と心配したけれども、扇風機を配備して下さったり、先生方の協力で、何とか無事に授業を終えることが出来て安心した。
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