高津物語 連載第八七〇回 「今後の問題点」
「久地いやのめ」の問題を取り上げ、論述して来た。
「久地伊屋之免」について結論らしいものは、何も示すことは出来なかったけれど、今後の方向性は示す事が出来たのではないか、と思っている。
溝口水騒動との関連で、今後も研究が深まることを期待している。
私の拙い研究で明らかになった研究成果を列記してこの項を終了させたい。
【1】「久地伊屋之免」の出処が溝口水騒動の久地村であるという事実である。
溝口水騒動に直接関係はないが、溝口村と密接な関係のあった久地村のことながら、「伊屋之免」は北端に位置し、久地本村とは直接の関係はなく、むしろ無関係と云っても過言ではないこと、である。
【2】多摩川ニヶ領用水本流と宿河原堰からの水路の合流点が、イヤノ免村であることは、問題の核心であると思われる。
が、ニヶ領用水本流は、南武線の下を潜り、久地駅前の鷹匠橋を通って、府中県道と遠く離れて流れる。
「伊屋の免」村からは、ますます遠のく感じだ。
【3】ニヶ領用水はそのまま直流して、久地小学校の右手を流れて、北上してきた府中県道と交差する。
明治の初め迄「久地大明神山の外れから横土手迄の日影には長さ十五・六間、幅が七、八間、深さ一尺八寸位の溜池が四個位あった。
溜池の周囲には煉瓦を積み、底面は大谷石の削りくずを入れた粘土のタタキである。この辺りでは明治三十六年以降からセメントを使用する様になった。寒い北風が吹いて凍りそうな時は、新川(ニヶ領用水)から水をくみ上げ溜池に流した」(角田益信著『長尾の天然氷』)という証言から「溜池」は、現在「スニーカー・タウン」のマンション辺りと思われる。さらに
同書に「府中県道に沿う山裾には、旧向ケ丘遊園正門付近から、南武線久地駅方面一帯の丘陵下に、氷を作る溜池(三十坪から六十坪位で長方形)が八十四ヵ所もあった」との記述がある。 故角田さんから頂いた文献から、久地駅から宿河原辺は、溜池だらけだったことが判った。感謝である。
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