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高津区版 公開:2015年6月26日 エリアトップへ

高津物語 連載第九〇〇回 「『秋草文様壺』の風土」

公開:2015年6月26日

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 「川崎は内向きの町で、よその人が来てすぐ面白いというところは、いくらもない」と山田太一さんが書かれている。これを私流に解釈すると、川崎は知れば知る程面白い所でもある。

 川崎市民ミュージアム考古学年表を見て思った。

 新作小学校地は、紀元前二万三千年前は旧石器時代の小高台遺跡。山田先生の散歩コースの緑ヶ丘霊園内遺跡は前一万六千年前の旧石器時代氷河期のもの。それまで溝口から南は、深さ十メートルの海だった。

 前一万年前から縄文海進が始まり、上作延の神明神社脇遺跡、前六千年前に子母口貝塚が出来、それから千年後頃に新作団地の新作貝塚が出来た。

 前四千年、久本久保台貝塚が造られた頃、縄文海進は最盛期を迎え現在の中原区、幸区辺りまでが姿を現すと川崎市内貝塚が少なくなる。紀元前三百年頃、東名高速道路のある長尾の下原遺跡の出土品から米の栽培が始まったことが確認された。

 紀元二百年頃奈良県で前方後円墳や埴輪が造られ始めると、弥生時代二五〇年頃影向寺北遺跡、井田中原遺跡が発見された。

 三百年頃幸区加瀬山南から八号古墳が発掘される。

 六千年前、多摩丘陵の南端にある加瀬山は小島で、山の南西側、現在の北加瀬で南加瀬貝塚は発見された。

 縄文時代の貝土器が出土した。その上の地層からは弥生時代の土器や貝類が発掘された。廻りが海に囲まれていた関係である。

 昭和十二年から加瀬山南西側、現在の北加瀬で古墳時代初期、4世紀中頃に築造された前方後円墳が発見されたのを切っ掛けに、加瀬山には現在まで九つの前方後円墳を含む古墳が確認されている。

 現在まで慶應義塾大学によって、調査された。全長87mの大型前方後円墳は白山古墳と呼ばれ、副葬品の玉や鏡等の副葬品が出土したという。

 現在の東京湾、川崎港から見ると川崎市最初の丘陵地であり、昔は海に浮かぶ唯一の多摩の横山であり、その横山の左奥手の引っ込んだ丘に日吉台があり、慶應義塾大学日吉校舎がある。
 

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