高津物語 連載第九五二回 「溝口駅前」
国鉄武蔵溝ノ口駅前は、原町田鉄道管理局管理下にあることを知って驚いた。
高津青年会議発足当時「駅前周辺の官公庁案内板設置」許可を得ようとした時の話だから、五十年も前の話である。
駅前には現在の「餃子店」のある辺りに、日本通運支店があった。
小学生上級生の時、「歌謡ショ―」があるというので見に行った。派手なドレスを着た三条町子という女性歌手が、蜜柑箱に乗って「こんな女に誰がした」他数曲を、アコーディオンに合わせて歌った。終わって拍手もパラパラで、気の毒だった。
その頃の溝ノ口駅前広場は、中野パチンコ店前に久本への小川が流れ、板一枚橋がある寂しい風景だった。
今の「横浜銀行」は、初め大山街道「タナカヤ呉服店」にあり、次に二ヶ領用
水大石橋際「丸屋」の隣にあり、それから溝口駅前の現在地に移った歴史がある。
「第一勧銀」の前身は、朝日製粉溝口工場で製粉用の大きな炉を持つ工場が建っていたのを覚えている。
ここは「表千家茶道」師範小川宗登先生の教場で、現在は「二ヶ領用水」の畔に移っている。
この工場を利用して若き民謡歌手、原田直之さんが育児を兼ねた「民謡教室」を開き、多くの人を教えた。 未だに溝口は民謡教室が盛んで「高津区文化協会」の創設以来の長い伝統になっていて、高津の誇りだ。
「ポレポレ通り」には渡邉さんの「ムサシボウル」があったが、現在改装中で、大きなビルの衣替えをして生まれ変わるといい、大いに期待したいと思う。
溝口再開発で「三越」や「東急百貨店」が溝口進出のチャンスを狙ったというし、「マルイ」が溝口駅前開発を強引に引っ張るリード・オフマンの役割を果たしてもらいたいものだ。
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