高津物語 連載第九七二回 「地域再編成と学校整備」
一八八九(明治二二年)市町村制公布により、八部落が統合して高津村が成立した。
又、小学校令改正で明治七年高津村立尋常高等小学校の第一校(溝口小学校)・第二校(二子小学校)の二校が開校したため、明治二五年十月、尋常高等第一・第二高津小学校と別称。
一村内に二小学校が存在する不自然を、明治四二年橘樹郡郡長が二校の合併を訓達、これにより明治四五年七月四日認可、溝口、二子、久地、宇奈根、下作延、久本、坂戸、諏訪、北見方、下野毛、高津区全地域を通学区とする児童数六三五人の「高津町立高津小学校開校式」が行われた(高津小学校の広大な校地は、上田安左衛門家の寄付、又正門左側に校長官舎、右奥に用務員宿舎があった)。
「小学校が村落内秩序の一つとして位置づいて行く過程は、小学校教師が、子供ばかりでなく、地域全住民の生活の指導者として、それも文化面における指導者として、位置付けてゆく過程であるといえよう」と地域における教師の役割が論じられる――(『一九三〇年代の地域変化と社会教育――神奈川県旧溝口町における事例研究』、東京大学教養学部社会教育思想研究ゼミ報告書)。
この時期の教育の中心は郷土教育で「吾人は郷土教育によって郷土の文化を理解し、郷土の地位を理解する。これにより、郷土への愛は清純となり、且つその熾烈さは増し、郷土文化の発展を期する」と高津小教員が、郷土教育の目的を語っている。
高津村立女子高等技芸補習学校創立・校舎新築落成。大正二年五月、高津町溝口七五番地、生徒数七八三人、職員十二人。校門を入って右手前に用務員宿舎があった。「高津図書館」は町立尋常高等高津小学校教職員の要望により高津小学校付属図書館は、昭和四年三月、町内有志が発起人となり、町民等の寄付で建設。木造平屋建、二四坪、建築費一六七〇円、蔵書数八〇〇冊であった。
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