高津物語 連載第九九一回 「高津駅前の変貌」
春になったが、まだまだ寒い日が続いている。
帝京大学医学部附属溝口病院で打って頂いた「インフルエンザ予防接種」の御蔭で、今年もどうやら無事に寒い冬を越すことが出来た様で感謝している。
昔(七十年前の話だが)、我が家の中に小川が流れていた。
久地の円筒分水から流れ出た二ヶ領用水の分流だが、結構水量もあり、きれいな流れだった事を覚えている。その頃は、水道がなかったから「六ヵ村堀」でお茶碗を洗ったり、洗濯ものを洗ったりしているのを見かけたものだ。
我が家に流れて来ていた小川は、そのまま流れて、大山街道を超え津田病院裏から、現在の「帝京大学医学部附属溝口病院」正面入り口を通過、病院脇の路地に出た。
現在アパートになっている場所は、高津警察署の柔剣道の訓練道場があり、威勢のいい声がいつも聞こえていた。
小川は、そのまま府中県道に流れて、高津駅に直進、東急ストア前を通って、帝京大学溝口病院新館前を右に入って、そのまま直進する流れと、溝口方面に流れる水路に分かれた。
この様に昔の水路を埋め立てることで、溝口をはじめ現在の川崎市の道路は出来上がっている。
もしも、昔のままの水路を生かした「道路政策」が行われていたら、随分都市景観が変わったろうと思うことしきりである。
帝京大学溝口病院が九階建ての美しいビルとなって五月にオープンする。
利用者として、喜ばしく嬉しい限りである。
昔、この場所には「三神」という製綿工場があったが大火事を出して倒産したと聞いた。
「玉川電鉄」が二子橋の完成により溝口まで乗り入れて、玉電「高津駅」が今の「東急ストア高津店」場所にあった。高架ではない。
ぽつんと立っている小さな駅だったのを覚えている。
戦中は「日本光学高津工場」となり、軍需工場に変わった。
戦後は「東京時計」が創業して、一時は随分華やかだったが、しばらくして本業以外の「高津ボール」というボウリング場を作ったが、長続きせずに潰れてしまった。その後にNECビルとなった。帝京大学病院のオープンが待たれる。
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