高津物語 連載第九九二回 「櫻花爛漫」
桜花爛漫の候である。だが、高津小学校の桜は残念ながら切り刻まれ、僅かに小さな小枝が花を付けている感じである。
桜に対する感触が、この二、三年ですっかり変わってしまった。恐ろしい話だ。
先日入学式があったが、可哀相に正門前の僅かに花を付けた一本をバックに親子で記念写真を撮っていたのを目撃した。桜の木に虫が付きやすいのも分かるし、児童がそれで被害を受けたら…等の心配もあると思う。しかし、一生に一度の入学式であるから、桜が咲いていて欲しい。こう思うのは不謹慎なのか、と私は考え込んでしまう。
私の幼年時代―桃、桜、梨が咲き、桃源郷の様な風景がこの地にあった。素晴らしい風景だった。この思い出を、私はこの土地に生まれた誇りとしている。
入学式は桜が満開だった。桜の下で写真を撮ってあげたいと思うのだ。
昔、多摩川に青年団が桜の苗木を植えた事があった。中原から稲田堤まで、見事な桜並木が出来て、満開の桜が東京からの観光客を呼び込み、明大生古賀政男の「丘は花ざかり」となって南武線の名所ともなった。
この頃が久地や宇奈根、溝口のピークだったと思う。
大東亜戦争が激しくなると、類焼の危険があるからと桜の樹木は全部切り倒された。桜鑑賞処ではなかった。馬鹿な話だと思うが、本当の話、それ以来無味乾燥のつまらない町になってしまった。
もう一度「桃源郷のまち 高津(区)」に戻りたい、戻したい、と思う。
出来ればの話であるが。夢のまた夢である。思い切って夢想してみたいと思う。「桃源郷」の再現である。二度と戦争で桜の木を切り倒さない事を条件にして、多摩の土手に『桜並木』が見られたら素晴らしいと夢想する。
二子橋を渡る電車の窓から満開の桜が見えたなら、どんなに幸せかと思う。
もともと川崎は気候温暖の地中海性気候の土地である。梨、桃が良く実り、園芸のさかんな土地であり、桜の花が咲く絶好の地である。戦没者の眠る緑が丘霊園の桜が好例であろう。桜の樹を植えて、高津の土地を桜満開の土地にしたいものだ。
入学式のその寂しい光景を目にして、こんなことを考えていた。
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