高津区版 掲載号:2017年6月9日号
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高津物語 連載第九九九回「高津の町の創始」

高津郷土史料集・第十四篇より引用
高津郷土史料集・第十四篇より引用
 元々は、多摩川の氾濫原の水底にあった高津区の土壌のことを、普段は忘れている私達である。

 それで良いのだけれど、時々は思い起こして欲しいと思うのは、高津区の土地は、元々不衛生な土地から出発したという事実である。

 それが故に、この町の出発は、大山街道沿いに、医者と薬剤店がやたらに多い町として出発した。

 この辺の事情を鋭く察して、開業時に太田家は、以前からの住まい「ねもじり坂」の途中にあった家を出て、新しく片町に「太田医院」を開設するにつき、古くからの道、「神奈川道」に「庚申堂」を建て、毎年十二月二十八日から二十九日までと、一月二十八日から二十九日までの二回、庚申塔を中心に「庚申塔の市」を開いた。

 これを「片町の市」「百姓の市」ともいわれ、片町の「内田屋」から栄橋までの路上を、道が狭いために道の両側に交互に店を出した。

 この市は、昭和九年頃まで続いたが、南武線「武蔵溝ノ口駅」南側の新道ができるまで、幅九尺(三メートル)の神奈川県道を、使っていた。

 十二月十二日と十三日両日に開かれた影向寺の市に行きそびれた人達が、この片町の市をよく利用したという。市ではよく、正月用品を売ったが、ざる、神棚の御宮、達磨、熊手、背負い駕籠、山の伐採道具(のこぎり・なた)、灯墨(明りの芯)、苗木等が並べられ近隣からの客で大盛況であった。もっとも、江戸時代、この市に限って天下御免の賭博が撃たれたので、人気が出たという見方もある(参考:『高津郷土史料集・第十五篇・矢倉沢往還・二子・溝口の街並その二』川崎市立高津図書館)。

 私も編者の一人であった資料に書かれている。

 こんな風にして、太田家の診療が始まった、と思われる。

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