地元の寄席やイベントに出演し、平和・反戦を訴えるアマチュア落語家の 中島 邦雄さん(高座名:寝床家(ねどこや) 道楽(どうらく)) 中丸子在住 81歳
笑いで平和な社会訴え続け
○…「きっかけはイラク戦争だった。テレビで悲惨な映像を見て、改めて戦争がむごいものだと感じた。自分に何かできることはないか」と思い、東京大空襲で親・兄弟を亡くした自身の体験を落語にして披露しようと決めた。そんな中で生まれた創作落語『生き字引』は、「憲法9条を世界遺産にしよう」という平和への願いが詰まった話だ。2004年に披露して以来、多くの場所で話してきた。
○…「おもしろいし、小さい時の生活の記憶が蘇るんだよね」と、ラジオから聞こえてくる落語に親しみを感じるようになった20代の頃。話の技術は落語全集を読み、寄席に足を運び、少しずつ覚えていったという。40歳になったあたりから本格的に人前で話しはじめ、「地域の人に聞いてもらえる機会を」と神明神社(上小田中)でスタートした「むさし寄席」は20年以上経った今でも続いている。現在は年間に50本ほどの寄席に出演。「声をかけてもらったら基本は断らない」とデイサービスや平和関連のイベントなどさまざまな場所で話している。
○…浅草で生まれ育ち、5歳の時に太平洋戦争が始まった。集団疎開先だった宮城県で終戦を迎えると、その後、東京に戻り高等学校を卒業して裁判所の速記官となった。職場で出会った夫人との間には3人の子どもに恵まれ、孫も6人と家族が集まる場では一層にぎやかになる。「家族が一番大事だし、そのために健康でなきゃならない。そして、それを実感できる社会は平和が大前提」と話す。
○…中原空襲を記録する会の会長を務め、子どもたちに戦争の悲惨さなどを伝えている。しかし、現実は安保法案の可決など、願いとは逆の方向に進んでいると見る。「70年前に体験したことが、起こりそうでとても不安」と歯がゆさを滲ませる。「皆さんが笑って過ごせる社会が大事。それができる世の中であってほしい」。今日も平和を祈って高座に上がる。
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3月29日
3月22日