「文武両道」を掲げる法政二中高。その中で一時代を気付いた高校野球部。過去には、巨人で活躍したエースの柴田勲氏を中心に甲子園を春夏制するなど、輝かしい成績を収めた。しかし、その後は甲子園からしばらく遠ざかる。「古豪復活」を掲げて甲子園の舞台に帰ってきたのは21年ぶりとなる1982年。そのチームの5番・ライトで活躍していたのが絹田史郎氏。現・硬式野球部の監督だ。
選手として甲子園へ
82年のチームは、後に巨人やオリックスで活躍する高田誠氏がいたが、「個人の力に頼るチームではなく、チーム力で勝ち進んでいったチーム」と絹田監督は振り返る。
県予選を突破し、久しぶりの甲子園にチームは奮闘。1回戦で智弁学園(奈良)、2回戦で春日野(大阪)を破り順当に駒を進めていった。しかし、3回戦で東洋大姫路(兵庫)に敗れ甲子園を去った。「甲子園に出て、上には上がいることを実感した」と当時を振り返る。6大学野球でプレーすることが夢だった絹田監督だったが、腰のケガをきっかけに高校野球の指導者として再び甲子園をめざすようになった。
高校卒業後は法政大に進学し、サラリーマンを経験した後に法政二高に帰ってくる。法政二中で教鞭を振るう傍ら、サッカー部や軟式野球部の顧問を務め、2010年に二高の硬式野球部監督になった。
監督を務めるなかで、まだ甲子園の出場はないが、「昔に比べて環境も整っている。生徒にはもっと貪欲に取り組んでほしい」と選手を鼓舞する。一方で、「野球で学んだことを大学・社会で活かせるようになってもらえれば」と生徒の将来にも期待を寄せる。
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