元川崎市長で2015年7月3日に90歳で亡くなった高橋清さんの追悼本『〜バブル崩壊の試練の中で〜高橋市政が川崎に遺したもの』(一般社団法人川崎地方自治研究センター発行)の出版記念と同氏を偲ぶ集会が3月12日、川崎区東田町の川崎市労連会館で開かれた。
高橋さんは市立古市場小学校(幸区)の教員を務め、川崎市教職員組合執行委員長、川崎市助役を経て1989年(平成元年)11月に市長に初当選。2001年(平成13年)11月までの3期12年市政を牽引した。
一昨年の訃報を受け、市教職員組合や自治労関係者らが同氏の業績や小学校教諭としての横顔などを1冊の本にまとめ、その上で出版記念の追悼集会を開こうと企画し、実行委員会(代表・森山定雄川崎地方自治研究センター元理事長)を立ち上げた。
この日は高橋さんと縁の深かった約100人の行政、教育関係者や市民らが出席し、市長や教員時代の足跡を振り返った。
「父を語る」をテーマに登壇した次男の高橋亘大阪経済大学教授は「(市長の)仕事についてあまり語る父ではなかったが時々嬉しそうにしていた。川崎を愛していた」と語った。また、303ページにわたる本を手に「父はこういうことを一番喜ぶ」と述べ「小学校教員だったことを誇りに思っていた。書いてくれたことは嬉しい」と感謝した。
助役として高橋市長を支えた木口榮さんは「政策を出す時『市民目線で考えよ』と言われていたのを思い出す。職員に温かく優しい。中小企業にも手厚く展開した」と懐かしんだ。
高橋さんの長男・高橋進東大教授(故人)と親交の深かった坪井善明早稲田大学教授は、進氏が提起した市職員の海外研修制度に触れ「研修生の多くがその後、区長や局長を務め市の屋台骨を背負った」と回顧。高橋市政については「日本の地方行政の革新の火を灯した。市民中心の政治を行った」と評した。
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