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麻生区版 公開:2013年10月18日 エリアトップへ

高石在住 日本の地名研究の第一人者 谷川健一氏の逝去に思う

公開:2013年10月18日

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全国地名研究者大会で講演する谷川氏
全国地名研究者大会で講演する谷川氏

【〜今、なぜ地名が重要なのか〜安易な地名変更は文化の喪失に】

 故谷川健一氏は、民俗学者・地名研究者・歌人・雑誌『太陽』の編集者・歌会始の召人(めしうど)・文化功労者、など多くの顔をお持ちでした。その中でも「地名」に対する思いは強く、特に地名の改変には強い危機感を感じていらっしゃいました。昭和56年(1981)には神奈川県と川崎市の支援のもと川崎市に日本地名研究所を設立され、毎年「全国地名研究者大会」を開催し、地名研究の普及に努めてこられました。氏は、常々「地名は日本人のアイデンティティーに不可欠な存在である」との持論をお持ちで、精力的な研究活動を続けていらっしゃいました。日本の歴史の中で、日本文化に大きな打撃を与えたものに「応仁の乱」、「廃仏毀釈」などがありましたが、もう一つは「地名の喪失と改変」であると思えてなりません。始末が悪いことに、地名はその被害が具体的に目に見えず、生活にそれほど大きな障害があるというわけではなく、地元の方々もそれほど危機感を持っているわけではありません。

 しかし、「地名」は大切な郷土文化です。「地名」は祖先が、それぞれ意味を持ってつけたものです。人々が関わった歴史的事件・地形・自然環境・風俗習慣・政治・産業等々、心に残った強い印象がその意味となったのです。私たちが故郷の歴史を知りたいと思う時、郷土史に関する本などを紐解いてみることがよくありますが、祖先の思いに直接触れることはなかなか難しいことだと思います。しかし、地名には祖先の具体的な心の在り方や感じ方が如実に現わされていることが多いのです。例えば、麻生区の場合、「片平」は村の中央を流れる川(片平川)を挟んで一方は比較的平坦で、もう一方は高い丘陵地帯となっている地形に思いを感じてつけられた地名と考えられます。また、「麻生」の地名は、室町時代に「麻生郷」として登場しますが、「麻の生(お)うる地」との強い思いがあり、人々の生活と麻との強いつながりの様子が伝わってきます。今でも麻生一帯では、紫蘇によく似た葉を持つ「苧麻(ちょま)(=からむし)」が多く自生しています。「王禅寺村」の「般若面(はんにゃめん)」は、他地域でもよく見られますが、年貢が寺院の維持費にあてられる土地の意味を持っています。きっと王禅寺との深いつながりがあったのでしょう。いずれをとっても過去の時代の郷土の自然や社会の姿を地名がしっかりと伝えてくれているのです。昭和37年(1962)に施行された住居表示法によって、全国で多くの地名が改変されました。その法令は過去の地名の由来や意味を考えず、全く土地に関わりのない地名をたくさん作り出してしまったのです。時の政府は慌てて『由緒ある地名を尊重すべきこと』という趣旨の法改正をしましたが、何の効果もなかったとのことです。近年では「平成の大合併」と称する市町村の合併が大々的に実施され、新しい地名が次々と誕生しています。果たして地名の意味をしっかりと理解したうえでの新地名の命名であったのでしょうか。私たち現代人は、過去の祖先の思いをしっかりと受け止めながら新しい文化を築いていかなければなりません。谷川氏は「地名を軽視し安易に改変する事の背景には地名についての無知が潜んでいる」と語られています。幸いにも現在川崎市には谷川氏が設立した「日本地名研究所」が全国の地名研究者を束ね、さらに川崎市内の地名を網羅した「川崎地名辞典上・下」等を発行し多くの研究者が活用しています。

 一方、川崎市教育委員会の「地名資料室」は全国屈指の地名関連資料を持ち、書籍約2万5千点、地図約1万点が所蔵されており、各地から多くの研究者が訪れ利用しています。皆さんも是非一度来訪され、郷土の地名に触れ、祖先の思いを感じてみてはいかがでしょうか。

(文:板倉)
 

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