柿生郷土史料館タイアップ企画 柿生文化を読む 第82回 秀吉の天下統一間近 その時麻生で起きた事は(2) NHK大河ドラマ「真田丸」の時代と麻生 後編
【前回から続く】
1559年頃作成の「小田原衆所領役帳」を見ますと、麻生は北条氏の支配下にあり、北条氏の家臣、布施蔵人佑(ふせくらんどのすけ)が八十二貫五百文の知行(与えられていた土地)で治めていたようです。布施氏は北条の家臣ですから禁制は布施氏の手に渡るはずはありません。たぶん、現在所有している小島家の先祖が受領したものと思われます。小島家は麻生区周辺を実支配していた国衆(くにしゅう=中世、各地域に根を下ろしていた土着性の強い在地領主)であったのではないかと思われます。なお、この禁制からは色々な事が分かってきます当時の関東地方の支配者北条氏と在地有力者である小島家との関係。また、秀吉がこの禁制を麻生の有力者に渡すことにより、北条氏滅亡後の支配を容易にできる事を考えていたのではないかという事なども分かってきます。
また、麻生区の尾作家文書によると真福寺の白山谷戸に陣屋があり、小田原城落城の時、このあたりでも戦が行われました。生き残った北条家臣の吉垣三十郎は密かに王禅寺口の神明神社前(王禅寺東5丁目)に居を構え百姓となり、江戸時代になって名主として王禅寺一帯を治めました。今でもこの周辺では吉垣姓の家が多く見られます。
このように、真田氏の動きが関係して、秀吉が動き、小田原征伐が行われ、やがて天下統一が実現します。そんな大きな歴史の流れが川崎市麻生区にも押し寄せ、やがて江戸時代という新しい時代を迎える事になるわけです。
参考資料: 「小田原衆所領役帳」「川崎市史」「ふるさとは語る」
文:板倉敏郎
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