麻生区版 掲載号:2017年3月17日号
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第97回 シリーズ「麻生の歴史を探る」北条氏関東支配(6)〜北条氏滅亡 前編

 永禄二年小田原衆役帳ができ、伊豆・相模・武蔵の北条氏の治世は徳政と言われたようです。だが戦国の世のこと、それは長く続くものではありませんでした。最初に陰りを見せたのは市内の平間、木月、長尾、登戸と広範囲に所領を持つ太田氏でその棟梁太田康資(江戸衆)は永禄七年(1564)北条氏に背き、氏政が追放した古川公方を擁する下総の里見義弘の軍に加わりますが、その背後には元関東管領上杉家の存在があったのです。

 この越後の上杉景虎(謙信)が永禄年間関東進出を決め小田原城を襲っています。これは前関東管領上杉憲政が管領職を景虎に譲った披露をするもので、上杉軍は上野から武蔵、相模国に侵入しますが北条軍は小田原に籠城して相手にせず、謙信は敵の中を鎌倉八幡宮に詣で管領就任を報告、越後に戻ったとの逸話がありますので、前記太田氏の離反は一連のものだったのでしょう。

 そして永禄十二年(1569)には甲斐の武田晴信(信玄)が武蔵・相模国に侵入、小田原城を攻撃しています。この戦いは熾烈だったようで、武田軍の一部は小杉の渡しから現市内に乱入、木月、中原、溝口、登戸と稲毛などの民家、寺社を襲い狼藉を働いて去ったといわれ(小田原記、市史)、北条氏の治世が衰えたことを表しています。

 元亀三年(1572)北条氏政は軍役の改定をしています。それは相次ぐ城郭の増改築に要する陣夫役と大普請役の増役でした。当時の武士は通常は田畑を耕す村の農民の棟梁ゆえ、軍役の改定は村の賦課とみてよく、時世不穏の中、領主と農民の間では厳しいやり取りがあったのではないでしょうか。【後編へ続く】

 参考文献:「川崎市史」「戦国大名と北条氏の文書」

 文:小島一也(遺稿)

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