1914年、氾濫を繰り返していた多摩川の築堤工事を求め、集団行動が禁じられていた状況下で住民らが県庁へ直訴した「アミガサ事件」。その訴えを受け、自らの処分を顧みず「有吉堤」を築いた当時の有吉忠一知事の功績を称え、竣工から100年を祝して記念碑が建立された。
今から約100年前、度重なる多摩川の氾濫に苦しんでいた御幸村、日吉村、住吉・町田村(現在の中原区・幸区・鶴見区周辺)の住民500人以上が集まり、互いの目印としてアミガサを被り、県庁へ直訴に赴いたアミガサ事件。当時は大勢で行動することが許されず、その訴えは一度棄却されたが、新たに就任した有吉忠一知事が受諾し築堤工事が進められた。その結果、有吉知事はけん責処分を受けながらも、現在の上平間から上丸子付近までの約2180mにわたり、旧郡道を約55cmかさ上げした「有吉堤」が築かれた。その後、国が本格的に治水工事を行うきっかけにもなった。
計217人から寄付
現在、有吉堤の名残がある場所は中丸子児童公園など数カ所のみ。そのため地元住民らは、この出来事を風化させないようにと今年5月に「有吉堤竣工百年の会」を発足。募金活動を行い、217人から約500万円の寄付が集まり、このほど同公園に石碑を建立した。案内板には有吉堤の解説や地図などが記された。
150人が完成祝う
記念碑の除幕式は10月30日、中丸子児童公園(中原区)で行われた。築堤工事を進めた有吉忠一知事の子孫や記念碑建立に携わった関係者、地元住民、来賓ら約150人が参加した。
記念碑建立に向け活動してきた有吉堤竣工百年の会の野口守重会長は「今から100年前、台風や大雨の度に多摩川の水害に悩まされていた住民のため、有吉知事は国から中止命令を受けながらも工事を続行してくれた。まさに小池都政の都民ファーストならぬ県民ファーストだった。この碑が、工事に携わった地元農民ら含む先人たちの苦労や郷土愛のシンボルとなることを期待したい」と話した。
また、有吉知事のひ孫にあたる有吉徹さんは「有吉忠一は千葉県知事や宮崎県知事として鉄道を建設した記録もあり、積極財政で合理的な政治姿勢が共通していた。素晴らしい記念碑の建立に尽力された方々に感謝したい」と述べた。
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