○…(社)日本馬術連盟が馬術の普及・振興に努めた指導者らに贈る「平成21年度功労者表彰」に選ばれた。(社)神奈川県馬術協会の会長時に開催された「かながわゆめ国体」で相模原市津久井町に県内初の馬術場を整備し、選手が技術を高める環境を築いたことをはじめ、長年に渡り後進の育成に力を注いだ功績が認められた。「まさか受賞すると思わなかった」と予想外の表彰に驚きつつも、嬉しそうに目尻を下げる。
○…農家に生まれ、小学校卒業後は皇族が乗車する電車「御料車」の機関士を務めた。「皇族の方とお会いする」と誇りを持って仕事に励んだという。10年勤務したのち「昔から人に1円でも安いものを買ってもらいたいという思いもあって」と、農業の道へ。落花生やサツマイモを客が選んで収穫する「掘り取り観光」を実施し、農業界に新しい風を吹かせた。
○…「暦60年経つとひっくりかえる」の格言を信じ、「以前盛んだったことは60年でまた流行がやってくる」と、満を持して昭和45年に「秦野国際乗馬クラブ」を開業した。子どもの頃に農耕馬に乗った経験がきっかけだった。県内で2番目の乗馬クラブでノウハウがなく、調教師を呼んで一からはじめたという。「仕事は難しいことに当たるもの。乗り越えていけばいい」と会員を地道に増やしていった。その姿を見続けた次男が高校生のときに、「後を継いで乗馬の仕事をすると言ったときは嬉しかった」としみじみ語る。
○…国体終了後、管理の難しさから馬術場閉鎖の危機に直面。「個人のクラブは、本格的なコースを作れない。それでは選手が大会で結果を残せない」と神奈川県らに直談判した。その想いが伝わり馬術場は県営で存続、県内で力を付けた選手が五輪に出場するまでになった。クラブ経営を次男に任せた今も、毎日クラブへ足を運ぶ。「今まで、不幸せなことは一回もなかった」と暖かな眼差しで馬場を見つめた。


