タイの立憲革命を牽引し、亡命後は南区御園でも生活していた元同国首相のピブン・ソクラーム氏(以下ピブン氏)らの半生に迫った映画「フレネミー〜プリーディーとピブン〜」が、7日・8日の市内での撮影を皮切りに製作をスタートさせた。ピブン氏については市内で生活していた理由などが明らかにされていない。映画の撮影に協力し、同氏の研究をしていた作家の故・大野力氏の親族らは、ピブン氏の謎に光が当たることへ期待を寄せている。
ピブン氏は第二次世界大戦前から戦後にかけて活躍した政治家。1932年にはフランス留学を共にしたプリーディー元同国首相らと共闘して当時の絶対君主制を打破し、タイ(当時シャム)に立憲政治をもたらした。その後2度にわたって首相を務め、在任中には当時の国号を「タイ」に改めるなどの功績を残す。混乱期の中で若くして政治の中枢で活躍していたことから命を狙われることも多く、逆に反対派を弾圧したこともあり政敵は少なくなかった。1957年には軍によるクーデターに遭い、カンボジアを経て日本へ亡命。理由は定かではないが、最後の1年は御園に移り住み、66歳で生涯を終えた。
今回の作品を手掛けるのはタイでCMや映画などの監督を務めるパサコーン・プラムオン氏。制作した映画の中には政治を扱った作品もある。その中で、国内外で重要な役割を果たしたピブン氏について、その素性や人間性に触れられる機会が少ない現状に着目し映画化を決意。ピブン氏と同じく首相を務め、青年時代からの友であり、政敵としても語られるプリーディー氏とあわせて謎に包まれた生涯を解き明かしていく構成を着想し、タイトルにもその意図を込めた。
ピブン氏研究、時超え形に
映画の撮影に踏み切ったパサコーン氏だが、ピブン氏の晩年については断片的な情報しか持っていなかった。そこで、京都大学でタイの歴史を研究するパビン准教授に相談。そこから富山国際大学の伊藤雄馬氏に話が伝わり、その後、相模原市国際交流協会が発行している機関紙にピブン氏に関する記事があるのを見つけた伊藤氏が、同協会に連絡。記事を執筆したのは生前、ピブン氏の謎の亡命生活を研究し、書籍化の夢半ばで亡くなった作家の大野力氏の義弟の田所晋さん(御園在住)だった。それを知ったパサコーン氏は昨年6月に来日し、田所さんと面会。大野さんが残したピブン氏に関するその緻密で膨大な資料に出会い感動を覚えたという。その後、大野氏の妻であり田所さんの実姉・大野和子さんや、当時ピブン氏が住んでいた御園の自宅近くに昔から住む深野武雄さんらとも交流し、映画制作へのヒントを得て帰国した。
パサコーン氏は大野氏の残した大量の資料のコピーから映画の構成を練った。その後、伊藤氏を通じ田所さんと連絡を取り合う中で、日本での撮影を決意し日程調整を進めていた。作品のイメージから冬場での撮影を決めたパサコーン氏は7日、ピブン氏が訪れたとされる相模原公園から撮影をスタート。翌8日に深野さん、田所さんらへの取材を通じ、当時のピブン氏が暮らしていた様子などについて証言をカメラに収めた。
制作が始まったことについて田所さんは「義兄が神経を注ぎ、作り上げた資料を形にするのは私の使命でもあった。映画という形でその資料が陽の目を見て本当に嬉しく思う。作品の中でどこまでピブン氏の謎に迫れるかわからないが、完成を楽しみにしている」と笑顔で話した。
相模原での撮影を終えたパサコーン氏は「タイの政治が混迷を極める現在、政治について『良い、悪い』ではなく、国民が政治を考えるきっかけになってほしい」と作品に込めた思いを話した。
パサコーン氏らは今後、タイ、フランスでの撮影を経て、来年中にタイ国内で上映する予定。現在、日本での上映予定はないが、パサコーン氏は「日本でも是非上映させたい」と意気込みを語った。
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