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矢部駅今昔ものがたり 「最短駅間」の謎

社会

公開:2017年7月13日

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(上)1977年当時の矢部駅北口=出典:横浜線開業100周年記念冊子(下)現在の矢部駅北口
(上)1977年当時の矢部駅北口=出典:横浜線開業100周年記念冊子(下)現在の矢部駅北口

 横浜線を利用していれば実感するが、淵野辺駅から矢部駅の距離は非常に短い。その距離は800mで、横浜線の駅間では最短。最長である小机駅―鴨居駅間の3・1Kmと比べると約4分の1の距離。この「最短駅間」となった背景は駅設置までの歴史に隠されている。

 1908年、横浜線の営業開始当初は現在の約半数の9駅体制で、その中に矢部駅は含まれていなかった。戦後、相模原駅北側に立地していた陸軍造兵廠が米軍に接収され「相模総合補給廠」となると、最大で約7万人の日本人が同所に勤務。補給廠への通勤方法はほとんどが電車で、米軍の関係者を含め、現在の矢部駅北側に位置していた補給廠の南門をめざし、淵野辺駅を利用していた。

 ただ、南門まで歩くには多少距離があり、米軍の関係者の中には南門付近で走行中の電車を停車させ、そこで下車していた人もいたとされており、淵野辺駅—相模原駅間での新駅設置の必要性が認識された。そして、1950年には現在の矢部駅の前身となる「相模仮乗降場」が南門の目前に開業。ただ、乗降場はあくまで補給廠の人員輸送を目的にしたもので、ホームは補給廠のある駅北側にだけ設置された。矢部在住で当時を知る武内英雄さん(69)は「北側にしかホームがないので、踏切が下りてしまうと(駅南側の住民は)電車が来ても乗ることができなかった」と振り返る。

 その後、乗降場付近のかつて畑だった土地には補給廠に勤務する人向けのアパートなどが多く立ち並び、周辺人口が増加。それに併せて乗降場の利用者も増えたことを受け、開業から7年後に乗降場から駅に昇格。当初「補給廠への玄関口」としての役割を担った乗降場の「最短駅間」という名残を受け継ぎ、「周辺住民の交通手段」として新たに生まれ変わった。矢部駅はその後、1979年に現在の橋上駅舎となり、現在は一日平均約1万2千人が利用するなど、地域住民の暮しを支え続けている。■取材協力/武内英雄さん・相模原郷土懇話会の石井篁さん
 

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