東林・史跡探訪 東林間神社 境内に"もう一つの神社" 123年の歴史をひもとく 新開地エピソード
かつての呼び名は「中村新開」−。開拓から123年経った今、「東林地区」は4万2千人を擁する都心のベッドタウンへと変貌を遂げた。
開拓以前は、中和田の泉龍寺(せんりゅうじ)近く(南区上鶴間)に住んでいた、古木清左衛門(せいざえもん)の所有地だったとされるこの一帯。新開地としての呼称は、この古木家の屋号が「中村」だったことに由来する。
小田急線の開通によって、あまりに変わり果てたこの土地にも、かつての“記憶”を現在に伝えるものがある。シャンテ大通り沿いに、それはひっそりと…。節分祭などでは大変賑わう「東林間神社」(東林間)のその奥に。
神社の中に神社
関東三大、鶴岡から分霊
東林間神社の境内には、実は“もう一つの神社”が存在する。「白笹稲荷神社」。立て看板には、そう名前が記されている。
この稲荷は、元々ここにあったものではない。五軒家の一人、古木卯之吉の長男・稲太郎が、大正6年、自分の屋敷の土地の一角に建立した。関東三大稲荷と崇められている、秦野市の同名の社から分社を受けた由縁を持つ。
しかし、昭和21年頃、東芝林間病院建設のため、買収の話が持ち上がる。そこで、小田急電鉄(株)は、現在の東林間神社と児童館のある土地に代替地を用意。稲荷はこの土地に移設された。そして東林間神社は、そのおよそ10年後に創建、鎌倉の鶴岡八幡宮から分霊を受ける。“2つの神社”はその由緒も申し分ない。
豆まきで“幸運を”
来週木曜日、2月3日は、全国の各社と同様に、「節分祭」が開催される。13時から、5回(30分毎)。豆まきが行われ、それを受け取った“幸運な人”には、景品が進呈される。
なお、稲荷は、五穀豊穣のほかにも招福除災も司る。問い合わせは、同社【電話】042(743)7805まで。
神社境内に佇む、現在の稲荷。五軒家には、それぞれ稲荷があった。しかし、古木稲太郎家当時の稲荷は、よく整備されていたことなどもあり、大きな神社のなかった、この東林間の言わば「本宮」のような存在だったそう。戦争中はこの集落にも、赤紙が来た。出征兵士は皆、この白笹稲荷から戦地へ赴き、帰らぬ人となった若者もいた
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