創設100年の節目となった「第97回全国高校野球選手権大会」は、東海大相模(南区相南)が仙台育英(宮城県)との決勝戦を10-6で制し、45年ぶり2度目の優勝を果たした。神奈川県勢の優勝は、1998年の横浜以来17年ぶり。
決戦から一夜明けた21日、選手らは午後5時頃にバスで母校に到着した。その勇姿を一目見ようと出迎えたファンは約1100人。大金眞人校長、門馬敬治監督らに続き、長倉蓮主将(3年)=右写真=が深紅の大優勝旗を手に降り立つと、「ありがとう」「よくやった」と歓声が上がった。昨年亡くなった原貢氏(享年78)が監督として率いた1970年以来、相模原市に優勝旗が戻ってきた瞬間だった。
優勝報告会で門馬監督は「生徒の力はもちろんだが、地域の皆様が作ってくれた学校。そこで野球ができる幸せをかみしめている」とあいさつした。
東海大相模 日本一地元も歓喜
門馬監督はさらに甲子園での試合を振り返り、「何が起こっても『想定内』と言い続けてきたが、決勝での小笠原(慎之介投手)のホームランだけが『想定外』だった」と話し、会場を沸かせた。続いて長倉主将が「これからの学校生活は日本一を取った野球部員として日本一の行動を取っていきたい」と力強く宣言した。
初優勝した1970年には、相模台商店街(サウザンロード)で優勝パレードが実施されたが、今回は高野連からの指導により行わない。
強力な応援団
東海大相模の優勝に、小田急相模原駅周辺でも歓喜の声が聞かれている。
これまで数多くの野球部員の胃袋を満たしてきた寿司処「六ちゃん」(相南)。店主の紅林秋男さん(71)は、甲子園で見届けた優勝から一晩あけても興奮冷めやらぬ様子で「今日は仕事が手につかない」と笑った。
同店は、現在の陸上グラウンドに兵舎が残っていたという昭和42年10月に開店。ほどなくして、同校の合宿所にいた東海大学の野球部員が頻繁に通うようになった。原貢監督も、そうした中で店に足を運ぶようになったという。今では神奈川県予選が始まる直前の日曜日、3年生部員とマネージャーを集めての決起集会が恒例となっている。
今年は3年生30人が6月28日に集まった。そんな中、レギュラーである小笠原、杉崎、吉田の3選手が仲間とふざけて、2階広間の壁を破ってしまった。「県で優勝したら許してやるから、もう一度寿司を食べに来い、そう言った。そうしたら本当に優勝したんだ」と紅林さんは語る。
7月31日、甲子園出発前に3人を店に呼んで食事をふるまい、壊れた壁にかぶせたボードにそれぞれの名前を書かせた。「その時には、県優勝時に(横浜高校の渡辺監督の勇退に配慮し自分の胴上げを断った)門馬監督を胴上げしなかったから、甲子園で胴上げしてこい、と言ったんだよ。そうしたら本当に…。テレビで女房は出世払いと言っていたけど、あれはなし。あの壁とサインは永久保存すると言ってやろうと思っているんだ」
また、同駅には東海大相模のライバルたちを見守り続けてきた宿がある。
駅北口からほど近い場所に位置する「能登旅館」(南台)は、作新学院、東北、愛工大名電を始め、練習試合や遠征で全国から訪れる東海大相模の相手校の言わば常宿となっている。また同校に入部する野球部員は地方出身者も多いため、受験時や応援にくる親御さんなども利用しているという。
今大会の決勝も甲子園まで足を運んだというオーナーの田原仁さん(55)は、東海大相模の野球部出身。高校1年時には、3年生に原辰徳氏が在籍していた。
18年前に親から旅館を受け継ぎ、利用者の受け入れを増やすよう改修して以降、全国から集まる高校生の受け入れを始めた。「強いチームは、挨拶もきちんとしていて礼儀正しい。やはり教育がしっかりしているのでしょうね」。45年前、田原さんも地元で優勝の盛り上がりを目の当たりにし、胸を躍らせた野球少年だった。「いろいろな構想も出ているよう。地元の皆さんで一緒に優勝を祝福できれば」と話していた。
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