野津田公園で「ファミリー駅伝」を企画した元五輪選手 新宅 雅也さん 南成瀬在住 57歳
走る喜びを伝える
○…「好きなんですよ。走ることが何より」。競技者時代は遠征で全国を駆けめぐる日々。お子さんの運動会をみることもできなかった。「家族の思い出を」という奥さんの提案に乗り、家族駅伝に出場したことが自分を変えた。競技者でなく一人の父親として走る楽しさを知る。「親が子どもを応援し、子どもも親を応援する」。”絆を深める走り”の喜びを伝えるため、ファミリー駅伝を企画した。
〇…日本選手権12連勝、日本記録を7回樹立、3度のアジア大会優勝に3度の五輪代表選手への選出。日本マラソン会の黄金期を支えた立役者の小学生時代は「80人中16番目くらいかな」と懐かしむ。『負けたくない』の一心で、育った広島の海辺を走り続けた。小学校を卒業する頃には3番になるが「まだ上がいるって思ったよ」。”一番の負けず嫌い”の努力が日本一のランナーの始まり。「マラソンにセンスは2割くらい。8割が努力ですよ。だから楽しい」と笑顔で話す。指導する子どもの陸上教室では、子どもたちがタイムを伸ばし”頑張った証”として報告をくれるのがなにより嬉しい。
〇…現役時代のジンクスは「靴は左足から」「試合の前日には体を触らせない」。常に走りのことを考え、感覚を研ぎ澄ます。試合の日の朝、時折家族に誓う「今日は優勝の日だ」という”予告”が外れたことはなかった。過信でなく自信があった。ソウル五輪のころもまさに絶好調。メダル獲得へ国中の期待が高まるが結果はまさかの17位。「人生一番の挫折かな。1カ月はなにもできなかったよね」
〇…趣味も仕事も走ること。現在の目標は還暦までにランナー憧れの「サブ3」を再度達成すること。ソウル五輪の挫折は「鼻が高くならなくてよかったのかな」とやっとの想いで振り返れるように。「マラソン競技には本当にお世話になった」と恩返しの気持ちを込め、子どもたち、若手選手の育成に取り組む。もちろん、東京五輪も視野に入れて。
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