宮司の徒然 其の4 町田天満宮 宮司 池田泉
『メンター』について
私が母校中学のPTA会長をしていた時、PTA連合会の講演会に文科省の方を招いて講演してもらった内容の中に「メンター」の話があった。メンターとはメンタル面で背中を押す人。この存在が人生を左右するくらい大きい場合が多々あるという。講演後に自分のメンター、自分の人生を左右するような助言をしてくれた人、肩を押してくれた人、いろいろ思いを廻らせる内にS先輩の顔が浮かんだ。
中学時代に
バレーボールに打ち込んでいた中学時代のこと。まだ1年生の私がたまたまグランドに1番乗りした日。当時女子のコーチをしていたS先輩というOBがやって来た。人望もあり、誰からも好かれている尊敬すべきあこがれの先輩が、ウォームアップのパス練習の相手をしてくれた。他のコーチも集まって来て、S先輩は私とパスをしながら「1年生の代はこいつがセッターだな」と他のコーチたちに向かって発言。中学1年生の私は単にパスが褒められたと喜んでいたが、この言葉によって私は2年生であっさりセッターになっていた。
バレーボールのセッターとは、レシーブしたボールをアタッカーにトスする役柄。素晴らしいレシーブや強烈もしくは技巧的なスパイクは見た目が派手で誰にでも分かるが、セッターはバレーボール経験者にしか理解し難い繋ぎ役で、試合の組み立てをするマニアックで地味なポジションが醸す特有の雰囲気が身につく。
重い言葉
さて、結局引退までワンセッターとなり、高校でもセッターしかできず、OB会で市の大会に出てもセッター。しかも、ワンセッターは後衛にいても相手のサーブと同時にネット際に飛び出すから、サーブレシーブをほとんどしない。中学の女子のコーチをやめる50歳になるまで、とうとうサーブレシーブは苦手なままだった。
そんな役回りは人格にも反映したようだ。目立たないが大事なポジションという立場を得意とするようになり、宮司やらPTA会長やらトップの位置が苦手で、できれば一歩引いた立場のところになりたいと常に願うが、皮肉にも人生なかなかそうならない。
一方、S先輩はその後、都の教育委員会で活躍し、引退間近に志願して市内の中学の校長に着任。退職してから市の教育委員長もしている。他の中学の校長だったS先輩が卒業式に列席。S先輩が来ていると知るや、それまでの台本が吹き飛んで、これしかないと私が壇上から卒業生に語ったのは「メンター」の話だった。巣立つ生徒たちにSコーチとの経験談を話し、「君たちにもメンターは必ず現れる。それも君たちの大きな財産になる」と。
卒業式終了後に久しぶりにS(校長)先輩と話した。開口一番「俺、そんなこと言ったか〜?」と笑っていた。メンターとはそんなもんだ。でもその時の偽りのない言葉があって今の私がいる。中学1年生の少年が単純に喜んでいた言葉が、実はとても重い言葉だったと気づいたのは、人生も後半に差し掛かってからだった。
あなたのメンターは?
さて、あなたのメンターは誰でしょう?沢山いるという幸せな人は、ではメンターのナンバーワンを考えてみるのも良いかと…。
写真は和田草。この辺りではなかなか見られなくなりましたが、小さくて地味でも古くからの里山のメンバーです。
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宮司の徒然 其の137町田天満宮 宮司 池田泉12月21日 |
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宮司の徒然 其の135町田天満宮 宮司 池田泉11月30日 |