町田天満宮 宮司 池田泉 宮司の徒然 其の12
マンサクと暦
明治5年12月3日、政府は欧米に合わせて旧暦から新暦に突如切り替えた。さしたる広報活動もしていなかったため混乱をきたしたことは当然だったが、その手法が乱暴だった。例えば、暮れの定番「忠臣蔵」は旧暦12月14日の出来事。しかし忠臣蔵の場面には雪がつきもの。東京で12月半ばに雪が降るだろうか。
これが旧暦(太陰太陽暦)と新暦(太陽暦)のずれ。赤穂浪士の討ち入りは新暦にすると1月の下旬から2月上旬頃だろう。旧暦は一カ月が28日〜29日のため3年に一度閏月、つまり13月を加えないと季節がどんどんずれてしまう。
まる3年経過する頃には一カ月以上ずれるから、今のように6月が雨の多い時期でなくなっている場合もあるということ。旧暦では5月の節句は季節としては今の梅雨時で、雨を滝に見立てて鯉が負けずに天に昇る姿に肖って強い男子になるようにと願った行事だが、今は新暦5月の青い空を泳ぐ鯉が定番の景色となっている。
明治政府は歴史的な事件や偉人の誕生日も全て新暦にそのまま充てたから、実は現在の暦の日ではないということになる。それでも、急速にずれていく旧暦のままよりは理屈としては誤差が生じないということか。
暦は農業と深く関わっている。そこで日本はずれが大きい月の満ち欠けを基準にした太陰暦に、太陽を基準にした二十四節気(夏至、冬至、春分、秋分、立冬、立夏、啓蟄、大暑など)をミックスして種の撒き時や収穫時などをポイントしてきた。これが農作業の指針となり、地域や作物で間合いを計って用いられた。更にその土地毎の草木の様子を見て、地球規模の気候変動による季節の傾向にも巧みに対応してきた。
中でも季節を知らせる言葉で最も日本人が心ときめかせるのはおそらく「桜の開花宣言」と「紅葉」であろう。その他にも土地毎に季節を知らせる花はそれぞれにある。桃、菜の花、マンサク、卯の花(ウツギ)、曼珠沙華(彼岸花)など。
マンサクは東北の「まず咲く」が訛ったという説があるように、雪の乗った枝から鮮やかな黄色の花をほどく。ほどくと表現したのは、花弁が平たい紐状で夜店などで売っているピロピロ笛に似ているからだ。ピロピロ笛は「吹き戻し」というちゃんとした名前があるが、マンサクの花は後ろから息を入れているわけではないので戻ることはない。
とにかく冬が厳しい雪国の人にとって、マンサクの黄色は春が近いことを告げ、心ときめかせる花の一つであることは間違いない。
「卯の花くたし」は、5月後半に白いウツギを「くたす(くさらせる)」ようにうなだれさせる濃い霧雨のことで、春の終わりと梅雨が近いことを知らせる日本の季節の言葉だ。
しかし、この地道な草木と人の営みを根底から壊してしまうのも自然。5年前の東北を襲った災禍。進まない汚染除去、滞る防潮堤建設など、復興事業は予定の3割程度。つまり地方へ散り散りになった住民、仮設からの退去時期が迫る約15万人の住民が戻りたくても戻れないということ。
被爆した人々の中でも、特に若者は自身の肉体や遺伝子に起こるかもしれない計り知れない影響への不安を抱える。農作物が被った風評。未だ塩害で枯れ野原の田畑。被災地の復興宣言は遠い。
自然と素直に付き合うのは大変だ。殊に気候は人間が不自然を作りだしてきた故のとばっちりが大きい。
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宮司の徒然 其の137町田天満宮 宮司 池田泉12月21日 |
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宮司の徒然 其の135町田天満宮 宮司 池田泉11月30日 |