町田天満宮 宮司 池田泉 宮司の徒然 其の20
アンネのバラ
太田裕美の「木綿のハンカチーフ」がヒットしたのは、もう40年も前の事。歌詞の中にある「都会の絵の具に染まらないで帰って」という一節は、今も地方の人たちにとっては固定観念としてあるのだろう。大らかでのんびりとした田舎から、ごみごみした都会へと出て行くことは良くもあり悪くもありだ。
環境で人柄が変わっていくように、植物も地球環境の変化で確実に変わってきた。しかし、人と大きく違うのは子孫を残すためのひたむきな順応であることだ。地球誕生から現在までも環境は変化し続けてきたのだから、地域ごとに植物は必死に多様な変化をして順応し多様な姿形になった。人は地球の支配者のように君臨し、戦争を繰り返し、煮炊きや暖をとる以外で大量の火を使い、水や風を変え、遂には自分たちまで生きづらくさせてしまっている。
一方人は子孫を残し生きやすい環境を求める以外の欲望を発揮しすぎて、生存や共生という根本を逸脱してしまった生物なのだろう。
多様に変化してきた植物にはそれぞれに理由がある。形も大きさも色も。何百年とも何千年ともわからない長い時間をかけて、ゆっくりと順応してきた結果そのものの姿。それを人間は商売、趣味、好奇心などにより品種改良という横暴な手段をとる。自然なままをそのまま見るだけでも、ひとりの人生では見きれないほど楽しめるのだから、それだけで十分だと思うがどうだろう。
大昔よりバラの愛好家や研究者が「青いバラ」を咲かせようとしてきた。バラ科の植物は花粉による交配が割と容易で、受粉させてできた種を撒き、数年育ててやっとつける花を観察して、また別な花の花粉を受粉させて種を作って撒き、これを果てしなく繰り返して青いバラを追い求めてきた。私の庭のバラも放置していれば種はできる。当然、近所のバラの花粉も飛んでくるのだから、できた種を撒いて発芽させると、早いものは葉や茎の色も違ってきたりする。そして花にも親木と違う色合いが含まれている。以前掲載したバラ科の梅同様に、放置していても交配され、種(しゅ)を守ろうとするには接木や取り木が必要となる。バラにはブルームーンやブルーバユーといった品種があるが、青いバラを作りたいという品種改良の願望が強くネーミングに加わったと思われ、残念ながら誰が見ても薄紫に見え凡そ青には程遠い。
ところが最近、日本とオーストラリアの研究チームが遺伝子組み換えによって青いバラを作ることに成功し、来年あたりから市場に出回るらしい。努力してきた人には申し訳ないが、これこそ人間の横暴の極地。バラは長い時間をかけて青くなろうとしてこなかった。それは子孫を残すために受粉してくれる虫を誘うのに必要がない色だったからだ。
とは言え、私も庭にあるアンネフランクというバラはお気に入りだが、これも研究者による交配の産物だ。アンネフランクは文字通り「アンネの日記」のアンネリース・マリー・フランクの死後、バラの研究者がアンネの父親に贈ったバラで、数奇な運命を経て日本で定着している。(詳しくはウィキペディアで)花の色合いが日毎に変化していく様子が、迫害を受けて悲痛な運命を辿ったアンネを偲ばせる。悲惨な戦争、人種差別、迫害など人間の愚かさを忘れないため、戒めるために、このバラは大切だとも考えられる。ただし、それでも私は放置してできた種をせっせと撒いて発芽させ、自然交配による花を楽しみにしている。バラたちが目指してきた進化の本道に必ず戻っていくと期待して。
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宮司の徒然 其の137町田天満宮 宮司 池田泉12月21日 |
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