八王子を代表する建築家で、17日からその仕事を紹介する展覧会が開催される 小町 和義さん 富士見町在住 90歳
「偉大」な先祖 改めて感謝
〇…江戸時代から高尾山薬王院の建築に携わる宮大工「小町家」の6代目。卒寿を過ぎた今も現役。ペンをとり、現場へ足も運ぶ。主に多摩地域の神社、寺院、山車・神輿、茶室、文化人の邸宅、美術館などの設計管理を手掛けてきた。その数は300以上。伝統の中に新しさを求め、自由な発想で取り組む姿勢に対し、まわりは「数寄屋建築の探求者」と言う。
〇…「2、3、4だよ」。昭和2年(1927)3月4日、三崎町で9人きょうだいの長男として生まれた。姉が5人。父親はどうしても跡取りが欲しかったようだ。幼いときから職人と一緒に暮らし、手には工具を持たされていた。しかしその反動か、小学校を卒業する頃、「いつか家を出よう」と決める。工手学校(現工学院)へ進学したのち、建築家山口文象のもとをたずねた。そこで設計に面白味を見出しその後、同じく建築家の平松義彦からも指導を受ける。40歳で独立。そして父が倒れたのを機に故郷へ戻った。
〇…「デッサンができないから」。設計にパソコンは使わない。愛用の竹のスケール(定規)は、市販のものを削って厚みを落とし「自分仕様」に。汚れては洗って30年以上使っている。図面は書いては消し、書いては消しの繰り返し。「そうしているうちに想像力がわく」そう。肩まで届く髪は「自然体がいい」と、20代の頃からこの長さ。仕事術に、風貌にスタイルが宿る。趣味は65歳から始めた茶道、好物は「ビフテキ」という。
〇…理想の建築については「自然環境と調和し、かつその中に人の暮らしがあるもの」と語る。「何より使う人のことを考えて設計します」。住む人は「嫌な感じがしない。(神経が行き届いており)何でもないようで何でもある家」と証言する。「16歳で何も言わず家を出ました。戻ってきてから改めて先祖の偉大さを知りました。今もこうして順調に仕事ができていることに感謝しています」
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