書道家で、9月末まで高尾山薬王院にて書画展を開催した 石橋 宏楓さん 打越町在住 78歳
「一生勉強」 好奇心の原動力
〇…「あれは誰が書いたの?」。お山の生命力を漂わせる力強い書。薬王院に飾られている、北島三郎さんの代表曲「高尾山」の歌詞を揮毫した力作は、達筆で知られる「本人」の目にもとまったそう。その作品を発展させ天狗や山の画を添えたものも作った。それらをはじめとする合計80点ほどが7ヵ月間、同所に展示された。「皆様に多大なご尽力をいただき感謝です」
〇…岐阜県の出身。曾祖父は水墨画の大家だったそう。小学校に入ると、学校長から熱心に書道の指導を受けた。小3のとき、近所の人から茶箪笥の引き戸の絵を頼まれる。「なぜか『竹に雀』を描きました」。すでにその腕は周囲に認められていたようだ。書道を教室で教わるようになったのはだいぶ後のこと。会社員時代、会議の席で書記となり「本格的に学ばなければ」と思ったのがきっかけ。(結婚したのち)通いだすと3年目には指導者になることを勧められた。その後数々のコンクールに出品し幾つもの賞を受賞。「自分の力は小さい。皆様に引き立ててもらっています」。書には、謙虚さもしっかり表れている。
〇…作品は主に、心に響く言葉や座右の銘等を近代詩文調で書くことが多い。「繊細な筆遣い」とよく評されるそう。次回は雅子妃殿下による「七年をみちびきたまふ我が君と語らひの時重ねつつ来ぬ」(2000年)の歌を展示する。書く際は「心に響いてほしい」と和紙にむかう。作品は一気に書き上げる「一発勝負」だが、そこに至るまでの練習量は計り知れない。
〇…一昨年市内で開かれた北島さんの公演を鑑賞し衝動に駆られ、「高尾山」を書にした。次男曰く「始めたら止まらない病」。趣味は30年以上続けている民謡。三味線を弾きながら、夫が歌い仲間と陽気に楽しんでいる。好奇心はどこから?戦後の「貧しい」時、大好きな父に言われた。「宏子、一生勉強だよな」――。その言葉が今も心の支え、原動力になっている。
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