芸能活動50年を迎えた ヘンリー久原(くばら)さん 横山町在勤 70歳
ノーリーズン ロックに生きる
〇…佇まいからロックの香りが漂う。表情はあまり見せず、服は「黒か白しか着ない」という。「譜面なんて見ないから」と硬派に語る。50年にわたりミュージシャンとして活躍。今は市内にあるクラブの「顔」として連日ステージでギターを持ちドラムを叩き、シャウトをしている。
〇…佐賀県の生まれ。小学生の頃から進駐軍のラジオを聴いており、そこでポールアンカやプレスリーなどアメリカの音楽に出あった。姉が立川の米軍キャンプ内の美容院に勤めており、彼女を頼りに上京。キャンプで働かせてもらうことに。あるとき倉庫にあったドラムで遊んでいると、兵隊から「(ドラムは)仕事になるぞ」と誘われた。見よう見まねで練習し一カ月後にはショーのステージに。「聞こえた音に反応するだけ。理屈じゃないよ」。外国人にまじって日本の子どもが演奏していると話題になり大手レコード会社(東芝EMI)のプロデューサーが観に来た。「バンドでデビューしないか」。二十歳の時だった。
〇…曲は主にGS。ジャズ喫茶やディスコでドラマーとして月に60本ライブをこなした。パーカッションの技術にも長けていて、あの浅草サンバカーニバルのスタート時、その指導にあたったこともある。一方、エアコンのCMで歌声の披露もした。「30テイク録って自分のが選ばれた」。少ししゃがれ哀愁漂う声は、人の心によく響く。
〇…「応援するから」。クラブを経営する知人に誘われ20数年前、八王子へやってきた。以来そこで夜な夜な演奏し、日中はヴォーカルスクールのレッスンもする。活動50年で一番の思い出は10年前、還暦記念にホテルでショーを開いたこと。「ヒット曲なんて1曲もないのに400人以上が来てくれた」と喜ぶ笑顔は豪快だ。「なぜヘンリーなのかって?兵隊が『クバラ』ってうまく発音できなかったんだよ。で、『こいつはヘンリーだ』って。それからずっと。気に入っているよ」
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