えびなの企業史 受け継がれる「酒造り」の魂 160周年・泉橋酒造株式会社
このコーナーでは、周年を迎える市内企業を取り上げ、これまでの歩み・思い・こだわりなどに焦点を当てます。第1回目は今年160周年となる、下今泉の酒蔵「泉橋酒造」を紹介します。
市内唯一の造り酒屋である「泉橋酒造」。創業は今から160年前の江戸時代まで遡ります。1857年(安政4年)に初代・橋場友八氏の手で創業されました。
橋場家はもともと下今泉に多くの田を所有する大地主でしたが、豊富にとれる地元の米を有効に使う手立てはないかと友八氏は考え、思いついたのが酒造りでした。27歳の時に親の大反対を押し切り、現在の泉橋酒造があるこの地に酒蔵を開業しました。
時は黒船が来航し、江戸幕府の鎖国政策が揺らぐなど世の中が大きく変わりつつあった時代。若かった友八氏はその影響を受け、新たなことを試みたかったのではないかとされています。親の反対に食事もとらず反抗し意志を貫いたという逸話からは、酒造りに対する情熱がうかがえます。
創業時の蔵名は「橋場酒造店」。銘柄は「いずみ橋」。いずみ橋という名は酒蔵付近を流れる泉川(現在は土地改良事業により消失)と屋号の橋場から命名されました。造り酒屋の事業はその後、茂右衛門氏、仙蔵氏、友八氏、英昭氏、そして現在の6代目・友一氏へと受け継がれてきました。
戦争に翻弄されて
創業して最も大変だった時期は、太平洋戦争中と戦後。戦時中には、非軍事産業企業を転廃業させ、その資源を軍需産業に投入する勅令・企業整備令が公布されたことで、国が農業や醸造を統制するようになりました。これを受け市内でも造り酒屋の数が決められ、10年間ほど酒造りを中断せざるを得ない事態に追い込まれました。その間は酒販売で家業を守ったそうです。
戦後になるとGHQ指導の下、農地改革が行われ田を手放さなければならない事態に見舞われましたが、1956年(昭和31年)に酒造りを再開。株式会社化し、蔵名を「泉橋酒造」に改めました。
現在の社長・友一氏が家業を継いだのは26歳の時。以来”酒造りは米作りから”をモットーに、市内や近隣地域で山田錦などの酒米栽培から精米・醸造までを一貫して行う「栽培醸造蔵」にこだわってきました。今後の目標は「酒造りに欠かせない『農業力のアップ』と『外国への日本酒の魅力発信』」と友一氏。
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