江戸時代、年貢に苦しむ農民の盾となり、その命を落としたと言い伝えられる大谷村名主・鈴木三太夫の命日となる、きょう27日、大谷地区の霊堂などで供養祭が営まれる。328年前のきょう、首を切られた「義民」を紹介する。
1684年、三太夫は領主の旗本・町野幸重に重い年貢徴収に対する農民の苦しさを訴え、年貢の軽減を嘆願。しかし、この声が聞き入れられなかったため、幕府に直訴を企てた。
この時代、領民が領主を通さず直接、幕府に訴えることは認められておらず、計画を耳にした町野氏は三太夫を捕らえ、現在の中央農業高校の敷地内にあった代官所で、2人の子どもとともに極刑に処した。
その後、町野氏は領民を苦しめた罪で領地を没収され家名は断絶。村民は重い領主の年貢徴収から開放された。
三太夫の行動は領主に対する謀反(むほん)だったため、事態を記した当時の古文書などは一切残っていない。しかし大谷地区では村民を命懸けで守った「義民」の存在を脈々と語り継いできた。
伝承などに基づき三太夫の足跡を記しているのが霊堂脇に建つ石碑だ。郷土のために尽くした人物の功績を後世に伝えようと、1973年に地元住民らが建立した碑には当地の児島家に残されていた、海老名小学校初代校長の中山毎吉が草稿した撰文を郷土史家・小島直司がまとめた文が刻まれている。
毎年、命日となる4月27日には地元自治会らが碑が建つ霊堂と中農高内の処刑場跡で供養祭を営み、浜田町の妙常寺内の墓に二人の子とともに眠る義民・鈴木三太夫をしのんでいる。
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