海老名・座間・綾瀬版
公開:2015年6月5日
エリアトップへ
近畿地方から東海地方を経て、関東地方に入った方形周溝墓は、神奈川県域には紀元1世紀頃の弥生時代中期後半の時期に本格的に墓の制度として取り入れられるようになりました。海老名市内では、中期後半の段階では国分尼寺北方遺跡、杉久保蓮谷遺跡、本郷中谷津遺跡で確認されています。
富士ゼロックスの敷地にある、本郷遺跡では遺跡が所在する台地の東側から南北にのびる約280mの長さの環濠が確認され、西側に方形周溝墓群が、東側に竪穴住居跡群が広がっています。
米作りが盛んになってきた頃、地域の支配者が農耕の神へ祈るため銅鐸などを青銅製祭器を使う祭事が行われました。ここで出土した「小銅鐸」については、銅鐸祭祀が終了している時期であることから、古墳が出現する過程での政治的なシンボルと考えられています。
参考資料/えびな歴史ものがたり
|
|
|
|
|
|
<PR>
海老名・座間・綾瀬版のローカルニュース最新6件
|
|
|
|
|
|
|
<PR>