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綾瀬版 公開:2014年7月11日 エリアトップへ

<第1回> 渋谷氏ゆかりのコースを訪ねる(1) あやせの歴史を訪ねて 綾瀬市史跡ガイドボランティアの会

公開:2014年7月11日

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渋谷氏の城跡と伝えらえる「早川城跡」
渋谷氏の城跡と伝えらえる「早川城跡」

 綾瀬市ガイドボランティアの会の協力で行う新連載。第1回目は綾瀬市域で中世の頃に割拠した渋谷氏がテーマ。あやせウォークガイド9コースの中の【5】コース、「渋谷氏ゆかりのコース」に準拠したどっていく。

 時は天智天皇・弘文天皇から天武天皇への王位継承が、武力争乱を伴ってなされようとしていた壬申の乱(672年)が勃発していた頃。中央(近江(おうみ)朝王権)より見て、美濃地方を「東国」と呼んでいたと言われている説がある。

 時は流れて延暦の頃(780年頃)、多くの皇子たちの処遇に窮した朝廷や皇室は、皇子たちを臣籍降下させて氏名官位官職を与え、地方へ下向(げこう)させた。官位官職を得た人達は任期を終えても、その多くが任地(下向先)で土着し、その地で地名や自分たちに由縁・由来の名を名乗った。

 この頃、遠江(とうとうみ)以北以東は東国と呼ばれ辺境の地と認識されていたが、延暦20年(801年)の坂上田村麻呂の奥州征討、嘉祥3年(850年)頃の奥州藤原氏の馬・砂金等の献納、天慶2年(939年)の平将門の乱、永承6年(1051年頃)よりの前九年の役、永保3年(1083年)頃よりの後三年の役等で、東国にも戦役物流に依る街道や道の駅等が形成整備されていき朝廷の力が名実ともに延びてくる。東国の辺境の地、相模・武蔵・上総(かずさ)・下総(しもうさ)・常陸(ひたち)・上野(こうづけ)・下野(しもつけ)・安房(あわ)・伊豆国等に下向土着し、地域の土豪衆と政事と姻戚関係を成立させ農場開発集団、いわゆる自分達の領土を持つ武士集団が形成されつつあった。そしてそれらは力が及んできた朝廷の課税の対象となっていた。

 この中で桓武天皇を祖と仰ぐ桓武平氏と秩父平氏の子孫達が武蔵野国(埼玉県深谷・熊谷他)より多摩川流域に沿いながら南下し、武蔵の国橘樹群河崎(さつきぐんかわさき)の庄に進出。相模国高座郡渋谷庄に至る。この頃、この地は近江の大寺院の荘園であったが、この地の管理を任されることになる。ここに渋谷庄司重国誕生となる。
 

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