綾北小学校(深谷登志男校長)で、同校創立50周年記念式典が開催された。この日は児童350人に加え、教職員、保護者、地域住民など総勢500人以上が出席。東京フィルハーモニー交響楽団が招かれるなど、盛大に執り行われた。
記念式典は、PTAと学校長、教頭、総括教諭らで構成される実行委員会の主催で行われた。保坂敦前PTA会長が委員長となり、一昨年の秋頃から式典部会と記念誌部会に分かれ準備を進めてきた。
「子どもたちの思い出に残るものにしたい」と、30周年以降このために貯めていた積立金を使い、国内トップレベルの実力をもつ東京フィルを招いた。「当初は子どもが多かったのですが、ここ10年くらいは減少傾向。PTA主催のお祭りの収益を積立に回すなどして工面していました」と、保坂さんは話す。
記念誌では30周年以降の20年間をメインに、50年の歩みを掲載した。航空写真で見る学校の変遷や行事スナップ・児童・PTA写真や資料などが盛り込まれている。
2部構成で実施
当日は式典と演奏会の2部構成で行われた。第1部では、保坂実行委員長が「これまでの50年と、これから学校を創りあげてくださるであろう皆様に感謝したい」とあいさつ。児童代表は「これからは私たちが、これまでの伝統を大切に引継ぎます」と話した。
その後、実行委員会が講演台や花台、航空写真入り下敷きを学校・児童に贈呈。6年生による合唱「HEIWAの鐘」が披露された。第2部の演奏会では「どうしたら東京フィルハーモニーに入れますか」など質問も行われ、アンコールで盛り上がり幕を閉じた。
「北分校」から小学校へ市内で2番目の設立
綾北小の前身は、綾瀬小4分校のうちの1つである「綾瀬小学校北分校」だった。当時は3年生まで分校に通い、4年生から各分校の児童が本校舎に移り、学んでいた。
児童数増加に伴い綾瀬小が手狭になったため、1966年に市内2番目の小学校として独立開校した。その後も子どもの数は増え続け、南館や東館を建設するなど徐々に規模を拡大。
さらに人口急増期という時代背景を受け、天台・北の台・寺尾の3校が綾北小から分離独立している。50年間で送り出した同校卒業生は、5300人を超えるという。
50年前振り返り
今回、相談役として実行委員会に携わった橘川忠弘さん(寺尾本町在住・62歳)も、北分校に通っていた児童の1人。卒業年の4月が開校だったため綾北小には通っていないが、かつてPTA会長として30周年の実行委員会を務めるなど、地域の一員として変遷を見守ってきた。
「これこれ、この木造の校舎だよ」と取材中、過去の記念誌を開き当時を懐かしむ橘川さん。当時は今のドン・キホーテやセブンイレブンのあたりが更地で、友人と駆け回って遊んでいたという。
他にも、現在の綾瀬高校のあたりがまだ山で、山道を歩き通学したこと、アケビやカブトムシをよくとっていたことなど、様々な思い出が溢れ出す。「自分がPTAをやっていた頃と比べても、大きく変わった。あの頃は子どもの数が多くて、賑やかだった印象がある」と目を細める。
「周辺環境や教育環境は時代で大きく様変わりしたけど、子どもたちの本質は今も昔も変わらないかな。大事なのは、我々大人がしっかり見守ることだと思う」と橘川さんは話した。
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