蚕と桑の保存活動を続けている 榎本 照夫さん 愛川町角田在住 73歳
養蚕もスポーツも生涯現役
○…糸の町として栄えた愛川町半原。その糸作りを支えたのが、町内で広く飼育されていた蚕と桑畑だった。今年の7月には、自身が飼育している蚕の繭や、成長過程を写した写真などが町役場で展示された。「多くの方から反響をいただきました。町の歴史を知るきっかけになれば」と、柔和にほほ笑む。
○…生まれ育った角田の実家は、養蚕農家だった。当時は糸作りも養蚕も盛期。「蚕が成長してくると、私たちが寝泊まりする母屋まで蚕の場所になることもあった。蚕が桑の葉を食べる音が大きくて、ザワザワと雨のようだったのを今でも覚えています」と振り返る。中学を卒業してすぐに、海老名の蚕業試験場に就職。子どもの頃から身近な蚕と桑について、更に見識を深めていった。繭の採取回数を大幅に向上させる人工飼料の開発や病気への対策など、様々な研究に携わり、養蚕のスペシャリストとして現場を支えた。
○…今ではすっかり姿を変えてしまったが、中津や高峰では桑畑が広がっていた。その愛川の地で誕生し、国の品評会で優勝したこともある名品種の桑「春日」の保存活動を3年ほど前から始めた。蚕の系統保存を行っている知人から、大正時代に神奈川県で開発された品種の蚕「相模」を譲り受け、糸の町として栄えた歴史を伝える「語り部」として活動を続ける。地道な活動が実を結び、町内各地での展示だけでなく、「春日」の保存活動は学校や地域などにも広がっている。
○…現在は夫人と2人暮らし。長男はドイツでレストランを経営し、次男は沖縄でホテル関連の仕事に就いた。「たくましく自分の道を歩んでくれてなにより」と目を細める。余暇の楽しみは若い頃から大好きなスポーツ。65歳の時にソフトボールの神奈川代表として全国大会に出場。今も毎週の練習は欠かさない。「生涯現役。70代での全国大会出場が今の目標かな」と、瞳を輝かせる。