横浜DeNA稲川誠さん 若き星と歩んだ半世紀 長浦の”名物寮長”が勇退
長浦にあるプロ野球横浜DeNAベイスターズ合宿所の名物寮長として知られた稲川誠さん(76・茅ヶ崎在住)が昨年限りでその職務を退いた。7年間、若い選手らと寝食を共にし、厳しくも温かい目線で彼らを見守り続けた。市内の団体や企業から請われ、人材育成や若手教育をテーマにした講演なども度々行っていた。
1962年に大洋に入団した稲川さんは投手として活躍。現役時代は7年間で83勝を挙げ、オールスターゲームにも3度出場した。一本足となった王選手に1号ホームランを打たれたという有名なエピソードもある。
引退後はコーチ、スカウト、寮長として約半世紀にわたって様々な角度から同じ球団を支え続けた。
「僕はそれぞれの職を担当する前に必ず1番になってやろうと決意して挑んできました。寮長時代もそう。これまで経験してきたことを生かし『選手にとって一番の存在とは何か』を常に考えて取り組みました。この仕事は自分の集大成。いろいろな人に助けられ、少しずつ大きくなれました」と笑顔で振り返る。
怒るのではなく叱る
寮長の依頼を受けたのはスカウトを約20年務めた後、2年間球団を離れていた時のことだった。「もう一度球団に戻れるとは思いもしませんでした。また自分が持っているものを子どもたちに教えられるのだと思うと嬉しかったです」。
だが、寮長という仕事はこれまでで一番難しかった。寮には選手たちが厳しい試合、練習を終えて帰ってくる。「監督、コーチから厳しく指導された後なので、僕からは何も言いません。大切なことは選手に自分の時間を作らせる、約束事を必ず守る、気持ちをマンツーマンでよく聞く。そして試合に毎日ベストコンディションで挑める環境を作ってあげること。基本的なことですが確実にやらないと彼らからの信頼は得られません。これらを実践し続けることで向こうから自然に寄ってきてくれるのです」。
時には厳しく指導することもあった。「ただ怒るのではなく叱る。叱ることは物を教えるということ。中には何度も言わないと聞かない選手もいましたよ」
「僕はもう十分」
7年間、若い選手らと生活を共にしたことで、家族以上の関係を築くことができたという。
エピソードは星の数ほどある。毎日、顔色をチェックし、試合で調子が上がらない選手には「何も考えるな、来た球を打てばいい」と鼓舞することもあった。「吉村裕基(現・福岡ソフトバンク)と石川雄洋のような高卒入団選手は本来、4年で退寮しなければならないのですが、ちょうど芽が出始めた頃と重なったのです。僕は環境を変えない方がいいと思い寮生活の1年間延長を勧めました。その効果もあったのかな。一軍で結果を出せるようになってくれました」
昨年12月、人生の大半以上を過ごしてきた球団に別れを告げた。「燃えつきました。僕はもう十分です」。仕事納めでは、池田純球団社長から功績を称える記念盾と花束が贈られた。「自分が1番愛した球団。とにかく優勝してほしい」と願いつつ、”若き星たち”にこの先も優しく、時には厳しい眼差しを送り続けていく。
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