追浜駅から東京湾側に向かって突き当り手前、工業団地の一角に貝山緑地がある。小高い丘は現在、市民憩いの公園として親しまれているが、この地下には大戦末期につくられた「貝山地下壕」が静かに存在している。市内に現存する戦跡のひとつで、戦後70年の節目に合わせて今月25日、有志グループ「貝山地下壕保存する会」による一般向けのフィールドワークが行われた。年配者を中心に7人が参加した。
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大正5年に開設された「横須賀海軍航空隊」、昭和7年に設置された「海軍航空廠」と、追浜から深浦にかけての一帯は、当時の航空技術開発の粋が集まる軍事的要衝地として大きな役割を担った。戦局が悪化した大戦末期。本土決戦に備えて、機能移転を目的に海軍主導のもと急造で掘られたのが貝山地下壕だった。
壕の内部は3層構造となっており、A地区、B地区、C地区と分かれている。総延長は2キロもあり、かつて同会が壕内を調査した際に、司令部として使われていたと推測される場所や日常生活空間が見て取れたという。
今回のフィールドワークで見学したのは、貝山緑地の周囲に点在する大小の壕入口と素掘り倉庫、掩体壕(えんたいごう)と呼ばれる戦闘機の格納庫。追浜浄化センター裏手に存在し、当時の姿をとどめる7基の巨大なディーゼルオイルタンクも確認できた。
同会で代表を務める原田弓子さんによれば、行政センター、地元で活動するNPO団体らと貝山地下壕の保存活用に向けた動きを進めていたが、東日本大震災後、安全面の配慮から立ち入れが制限されてしまった。「戦争体験者が少なくなっている今、過去は戦跡に語らせるしかない。貝山地下壕は貴重な歴史遺産。多くの人に知ってほしい」と原田さん。今後も見学会や勉強会など地道な活動を続けていくという。同会の連絡先は原田さん【電話】046・836・7500
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