元五輪選手として全国各地で講演やカヌー競技の普及活動を行う 本田 大三郎さん 長坂在住 80歳
五輪と育成の経験 後世に
○…「金メダル以外はビリ」―。50年前、カヌーの日本代表として東京五輪に出場する際、色紙にこう書いた。「当時はそういうものだと思っていた」。あれから半世紀、三浦市でカヌースクールの代表を務める現在は、子どもの保護者にサインを求められると「スポーツは楽しく」と一筆。「時代も俺も変わった」今年傘寿を迎え、柔和な表情で話す顔には幾多の経験が滲む。
○…熊本の田舎で育った少年は、自他共に認める”ガキ大将”。近くの山々と日本三大急流の球磨(くま)川が遊び場で、子分を従え自然を駆け巡った。スポーツにも熱中。ラグビー、柔道…中学卒業時にはどの競技も万遍なくこなせていた。高校で先輩から強引にハンドボール部へ入部させられると、遊びで自然と培われた基礎体力が活き、徐々に頭角を現した。自衛隊に入隊後、体育学校で指導を行いながら、自身も鍛錬に励み、東京五輪まであと一歩に迫った。
○…それは突然の決定だった。ハンドボールが正式種目から外れ、カヌーに変更。「俺の基礎はガキの頃にできている」。毎日激流を渡し船で漕いでいた経験から、周囲の推薦もあり急遽カヌー選手に。大会まで3年という異例の事態だったが、自分には関係なかった。漕ぐ力、自然を読む力を兼ね備えていた元ガキ大将の適応は早く、経験の浅い選手らを引っ張るエースとして、日の丸を背負った。
○…引退後は指導者の道へ。消防局やカヌーの代表監督、いずれも”鬼”と呼ばれるスパルタ指導。息子多聞(たもん)さんをレスリング競技で五輪に導き、兄の孫でサッカー日本代表の圭祐さんには精神論を説いた。その”実績”から全国の講演依頼に応える。その傍らカヌーの普及にも知恵を絞る。現在スクールには娯楽目的の人が多い。企むのは音楽に合わせ、カヌーで演技するいわば「カヌーのシンクロ」。より親しまれるスポーツとして2度目の東京五輪、”新しいカヌー”で開会式を彩る夢を抱いている。
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