海南神社本殿などが県指定重文に 市内11件目 建造物では初
三崎の海南神社本殿、幣殿および拝殿が、県の重要文化財に指定された。本殿については規模の大きさや装飾の質などが以前から高評価されていた。これにより市内の県指定文化財は11件。建造物では今回が初となった。
海南神社本殿、幣殿および拝殿の県重要文化財指定は、県文化財保護審議会の答申に基づき、県教育委員会が3月15日に決定したもの(県公報の告示は22日)。
同神社は、南に三崎港を望む小高い丘に立地。創立は平安時代と伝えられ、本殿には藤原広嗣(ひろつぐ)の5代の子孫・資盈(すけみつ)とその夫人の像と云われる神像を安置している。
資料によると、本殿は棟札(むなふだ)から寛保3年(1743)の建立で、建長寺大工・河内三左衛門の手によることが知られている。桁行(間口の長さ)12尺(3・64メートル)、梁行(奥行きの長さ)10尺(3・03メートル)の大型社殿で、現在の形式は一間社流造(いっけんしゃながれづくり)だが、正面中央の柱を切断・除去して改造した痕跡がみられ、当初は二間社流造という珍しい形式だったことがわかる。これは祭神が二柱だったことに由来すると思われている。
年代に比して、また規模が大きい割には装飾的細部が少なく、さらに部材にやや守旧的な要素が見られる。こうした傾向は概して保守的な作風を示す鎌倉大工の手になることに由来するものと思われている。
幣殿および拝殿は、棟札から寛政10年(1798)の建立で、三浦郡網代村の大工・重田治郎兵衛と長谷川庄七の手によるものとされている。
拝殿は入母屋造、天井は格天井で、格間(こうま)の彩色画には安政4年(1857)浅井応翠筆の落款がある。
幣殿は間口を本殿に揃え、屋根は両下造(りょうさげづくり)。格天井を張り、格間にはそれぞれ図柄の異なる大輪の牡丹が描かれているが、拝殿とは手が異なり、時代が降ると判断されている。
海南神社本殿は地方の社殿として規模は大きく、また控えめながら装飾の質も高く、県内の江戸時代中期を代表する社殿である。また拝殿は本殿より時代が降るが、その細部は時代に比して古様で、本殿との調和を強く意図したものと思われている。
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