三浦の散歩道 〈第31回〉 みうら観光ボランティアガイド協会
かつて「笹塚不動」を祀るお堂があったのでしょうか、県営上宮田団地の辺りを「堂ヶ谷戸」との小名があります。浜田勘太著の「南下浦の歴史探訪記」によりますと、「この谷は谷戸田が奥深く入っている。その田圃の右山裾に道がある。この不動堂のあった山を削り、左下の谷を埋め、さらに山ヶ谷戸側を削ってその埋め立てた所に上宮田小学校を建設するというので…」とあります。
なお、「新編相模風土記稿」には、「不動堂、笹塚不動と称す。字笹塚に在るを似なり」とありますが「笹塚」は、小字ではなくて通称であるというのです。また、天保14年(1843)に書かれた「相中留恩記略」に書かれていた不動堂付近の図では、水田と山裾を廻る道、その先に民家が2軒。山裾の右に石段があり、正面に草葺きの高い建物があって、「不動堂」と記してあると前記の浜田勘太氏は記しておられる。
堂ヶ谷戸に別れを告げて現在の坂を上がり、池代の交差点から来る道に上がり、右へ少し行った所に庚申塔があります。笠付型のもので、青面金剛の合掌六手で大きめ二童子に三猿で、銘文に、右側は享保7「壬寅(みずのえとら)」年9月吉日とあり、左側に上宮田清水とあります。享保7年とは、江戸の8代将軍吉宗の時代、1722年にあたります。
道を少し戻って、陸橋の手前を右折し、畑の中の道を進むと、やがて、道が2つに別れる所を左へと向かいますと、道は右へと曲がり、池が見えてきます。側面の笹の間に色づいたカラスウリが点々とあるのを見やりながら進んで行きますと、池の脇に出ます。池に面した道の右側に「水神碑」の隣りに大きな石板の記念碑があります。昭和55年4月に建てられた「小松池水利組合の記念碑」です。昔から農業用灌漑(かんがい)池として、組合員55名共同で堤防を築いたとあり、三浦市と水利権と所有権について3年余の争いから昭和54年12月24日に和解が成り、3つの事項が記されています。
池の名称は「小松ヶ池」と呼ばれ、広さは1・5ヘクタールとのことです。池の西側に「厳島弁財天」が祀られ、北側の道辺に明治5年(1872)建立の「水神碑」も建てられています。池には珍しい野鳥も見られるとのことで、池畔の表示版には、鳥の写真と共に、ゴイサギ、コサギ、オナガガモ、ヒドリガモ、カルガモ、カイワブリ等々の鳥名が記されています。植物では、ヨシ、ウキヤグラ等の他、四季に適ったものが見られるというのです。
冬の日溜まりの池畔のベンチでは、お年寄りが数人居られて、時折り水鳥に餌を投げ与えている姿が見られます。
池にまつわる伝説は次回にまわしましょう。
つづく
御朱印集めて開運祈願4月20日 |
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