三浦の散歩道 〈第72回〉 みうら観光ボランティアガイド協会
原区に4年毎の9月の始めに行われる祭礼があります。神輿や山車(だし)が区内を練(ね)って、所々で祭詞を奉上し、獅子舞を舞い、家内安全と共に五穀豊穣や商売繁盛を祈願するのです。その元が、「原稲荷神社」です。
宮川へと流れる狭塚川の上、小高い処へと石段が続いています。その石段は70段以上もあります。この階段は平成元年の2月に1,153名の「建設寄付奉賛者」の方々によって作られたということで、階段の両脇に「奉納 正一位原稲荷神社」と記された幟(のぼり)がみられます。
鎌倉時代に書かれたと言われる『稲荷記』には、「延暦三年(784)、魏国(ぎこく)ヨリ日本国ニ移リマシマス時、御在所ナクシテ山城国ノ管、愛宕ノ郡ニ御経廻(ごけいかい)、御躰(おからだ)イネヲニナハセ給ニヨリテ、世俗ニ稲荷ノ神ト名ツケタテマツル」とあります。ただ「魏国」があったのは、日本の古墳時代のことですから、その通りとは言えません。江戸時代になると、「伊勢屋・稲荷に犬の糞」と江戸っ子の諺があるように稲荷社が多く存在したのでしょう。天保5年(1834)に書かれた『◎曹雑識』によると、江戸内106の稲荷について、横綱から前頭に至るまでの番附を紹介していると言われています。稲荷神社の祭神は「宇迦之御魂大神(うかのみたまのおおかみ)」と言い、この神は須佐之男命の子で、穀物神です。その総本社が京都の「伏見稲荷大社」です。創建は和銅4年(711)2月初午の日に顕現した神を渡来系氏族秦(はた)氏の祖、伊呂具秦公(いろくはたきみ)が勅令によって祀ったところ、五穀おおいに実り、天下の百姓は豊かになったと伝えています。天慶5年(942)神階が正一位になっています。これが幟(のぼり)に描かれる「正一位」の由来とのことです。
「原稲荷神社」も祭神は「宇迦之御魂大神」と「須佐之男命」の二柱を祀っています。由来が記されている掲示を見ますと、創建は江戸時代とも、それ以前とも言われていて定かではないと記されています。ただ、境内に奉納されているお狐さまには元治元年(1864)との年号が読みとれるとのことです。明治42年に海南神社に合祀されたのですが、ある日、稲荷大明神が原区の古老の夢枕にたたれて、原のお社(やしろ)に帰りたいと、お告げがあり、昭和27年(1952)に区民の総意で、元の境内に再建をした、とのことです。その後、平成14年に社殿を新しく建てられて、現在に至っているそうです。
9月3日が祭礼日だが、このところ、9月の第一日曜日に海南神社の宮司によって祭詞奏上があり、囃子や獅子舞が奉納されるとのことで、4年毎には大祭が催されるとのことです。深閑とした境内には、「地主弁財天」や「疱瘡神」も祀られています。
つづく
◎は礻と司
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