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三浦版 公開:2015年7月24日 エリアトップへ

三浦の散歩道 〈第87回〉 みうら観光ボランティアガイド協会

公開:2015年7月24日

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新井城の入口土塁の一部
新井城の入口土塁の一部

 「長寿」を願って、参拝した「白髭神社」をあとにして、小網代湾を右に見ながら「西の台」に至りました。明治16年に、この地から三戸の入道込に至る「渡船」があったのです。申請の理由について、三崎町から長井村に達する間道で、本道に比較しても約二千メートルも近くなるので、時々渡海を求める人がいる。というのです。

 この地に「永昌寺」が在ります。『新編相模風土記稿』によりますと、「西湖山」と号す、臨済宗鎌倉円覚寺末、本尊釈迦、開山真源、明応元年(1492)二月十五日卒 当寺も道寸の開基なり、寺号は則ち道寸の法号に采(と)れり、寺宝に三浦系図一巻あり、三浦志摩守誠次・同長門寺が家より収(おさ)む」とあります。

 現在の寺院は青瓦の入母屋造りの立派な建物です。向拝に三浦氏の家紋が見られます。境内に江戸期の墓石がきれいに並べられています。元禄期や享保など1700年代の墓石類です。寺の前の坂を登って行きますと、バスの通る県道に出ました。「シーボニア入口」のバス停近くです。油壺バス停まで三百メートルの文字もみられました。

 油壺の「新井城跡」に向かって歩いて行きます。やがて、右側に駐車場と思われる広場がありました。その広場の北側の先端に立つと、小網代湾の静かな入り江の向かいに「三戸」の台地が指呼の間に見渡せるのです。

 この辺りが、縄文早期と言われる「鵜ヶ島台遺跡」と呼ばれる所で、昭和三十三年の調査では、従来見られない新しい型式の土器が発見され、「鵜ヶ島式」と命名されたと言うことです。他に、黒曜石製や玄武岩製の石鏃(せきぞく)(石で作ったやじり)などが多数出土したと聞いています。

 歩を進めて、いざ、城跡へ、しかし、現在は東京大学の臨海実験場になっているので、やたらに、城跡へは行かれません。入口の所、「油壺験潮場入口」の標式の先き、道路の右側、「あじろ亭」に隣接する民家の前方に小高い山を削ったような壁面が道路の左側に見られます。ここが、城の入口、「内の引橋」と呼ばれる所です。内側はちょっとした広場になっています。「曲輪(くるわ)」と言われる処です。『新編相模風土記稿』に、「新井古城」の見出しで、次のように記しています。「小名荒井にあり、城地の形状東を首とし西を尾とす、北は網代湊南は油壺の入江にして海中に突出せること三十町許(ばかり)(約三、三キロメートル)、濶(かつ)(広さ)七八町或は十町(一町=三千坪)〔管領記〕に、巡り三十余町〔北條五代記〕には広三十町四方とあり、東の一方のみ陸に接す、則(すなわち)大手の跡にして其地を引橋と号す〈当時大手の堀に引橋を架したる故に此名残れりと云〉古外溝あり、籠城の時橋を引、疏鑿(そさく)して海水を湛(たた)ふれば柵域一箇の島嶼(とうよ)となれり。」とあります。   (つづく)
 

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