矢部ふさおの「花たれ雑記【4】」 震災で感じたわが身の「不覚」
地方分権と行財政改革が叫ばれて久しいですが、今や福祉や教育、産業、文化などの政策は将来に向けてどう構築していくか、地方が責任を持って自己決定していかねばならない時代を迎えています。豊かで魅力ある街を創造するには、先見性のある適切な政策を実現することが欠かせません。さて、そこで私たちのまちの現状に目を移してみましょう。安心安全を目指して政策選択がなされているか、提案も交えて何回かに分けて紹介いたします。
2011年3月11日、東北地方は未曾有の大災害を蒙り、未だ復興の途上にあります。1日も早く被災された方々の傷が癒えることを願わずにはおれません。また私たちは東日本大震災で多くのことを学びました。
まず私の「不覚」の話ですがあえて紹介いたします。発災時、私は桜山の自宅で体験したことのない大きな揺れを感じ、家族と外へ出て収まるのを待ちました。その後車で市内周辺を走りましたが、停電で信号機は点灯せず、電車も不通になっていることが分かりました。停電が復旧し、被災地の惨状をテレビで知るとともに、都内は交通網が麻痺し帰宅困難者で溢れている状況を目にしました。私が「不覚」を感じたのはこの時です。というのも私はかつての阪神淡路大震災の教訓を踏まえ、葉山港の葉山マリーナ側に300t程度の船が直接着岸できる防災用岸壁の設置を再整備計画に盛り込ませた経過があり、船を利用すれば県内外の港と連携した相模湾での人の移動が可能と承知していたからです。危険度が低減した段階で船でも帰宅できるとの情報は、逗子葉山にお住まいの首都圏へ出かけられた帰宅困難者の苦痛を緩和できたのではないでしょうか。ちょうど震災のあった3月は県議会会期中の最中であり、私が当時議員として横浜にいれば県当局に船の活用を提案できたと思うと、自身の「不覚」を強く感じるところです。
政治家は地域に何が充足し、何が欠落しているかを常に把握し、行政が盲点となる部分を補完する程度の見識を持たねばならないと、改めて自覚いたしました。
矢部房男
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