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鎌倉

最新号:2012年2月 3日号

第二次世界大戦中、鉄血勤皇隊として沖縄戦を経験した

新垣 秀雄 さん

二階堂在住 83歳
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2010年8月 6日号

「ぬちどたから」

 ○…2001年から小中学生に「出前講話」として沖縄戦を伝えている。「話していると、ついさっき起こったことのように過去に引き戻されて辛い」と言うが、「戦争を知っている人がいなくなる。責任を感じて話している」と静かに語る。

 ○…沖縄県中城村に生まれ、45年3月、17歳の時に学徒隊である鉄血勤皇隊に動員された。「動員されたものの装備も食糧もなく、『近くにいる日本軍に各自入れてもらえ』と解散命令が出た。しかし、日本軍にだって食糧はない。米軍から見つからないよう逃げ続けていた」。3ヵ月後、米兵に発見され銃口を向けられる。その時発した「Kill me?」(=殺すのか?)という言葉に米兵が反応した。銃を降ろし十字架を見せ「殺さない」と合図したと言う。「その時の十字架のまぶしかったことは今でも忘れられない」。そして捕虜となり終戦を迎えた。

 ○…終戦後は大勢の教師が亡くなったことを受け教育の道に。最初は賃金もない中、木の下で子どもたちに教えていた。その後、復興とともに高校の教員免許も取得し、定年までを沖縄で勤める。その後、子どもや孫が鎌倉に住んでいたため二階堂へ移り住んだ。

 ○…89年に沖縄戦を短歌に詠んだ「傷痕」を発行。これが沖縄タイムス社の目に止まり、同社の芸術選賞文学部門で大賞を受賞した。「友人たちが死んでいった戦争を詠んだもの。目出度いものではないから最初は辞退した」が、周囲の強い推薦を受け受賞を承諾した。その後も短歌集「残生」と「ぬちどたから(命こそ宝)」を発行する。

 ○…鎌倉市から出前講話の依頼が来た時も「最初は躊躇した」と言うように、好んで戦争の話をしている訳ではない。それでも話し続けるのは「命の大切さを伝えていきたい」の思いに尽きる。「傷痕」には戦地で書きとめた歌もある。「岩陰に 雨避けをれば いつしかに まどろみてあり 夢に母呼ぶ」
 

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