近年、教科書で鎌倉幕府の設立は1192年と1185年の2つの説が掲載されるようになっている。長年親しまれてきた1192年は源頼朝が征夷大将軍に任命された年にあたるが「幕府の開府は頼朝が守護・地頭の任命権を得たときではないか」との理由から、1185年開府説も掲載されるようになったという。
東京書籍株式会社は、2014年度の日本史Bの教科書で、開府年の解釈を6説掲載に踏み切った。先述の1192年と1185年の他に、頼朝が鎌倉に居を構えた1180年末、頼朝の支配権が事実上朝廷から承認を受けた1183年、鎌倉に公文所(政所)と問注所が設けられた1184年、頼朝が右近衛大将に任命された1190年の4説が並列で記載される。
授業に「影響なし」
多様化した鎌倉幕府の始まりの解釈に、教育現場ではどのように対応しているのか。本紙は市内の高校(県立4校、私立6校)に「鎌倉幕府開府年の指導方法」についてアンケートを実施。7校から返答があった(2校は回答なし)。
開府年についての授業の進め方は「6説全て教え、流れを掴ませることに重点を置く」という認識が主流。鎌倉学園の風間洋教諭の「論拠を教えて、生徒に考察させる」といった答えを一つに絞らない教え方が多数見られた。また、鎌倉女子大高等部の前島孝充教諭によると「10年前より自主制作テキストをメインに授業を行っている」など、すでに独自対応を取っている学校も。回答のあった高校全てで「今後の授業に影響はない」とのことだった。
とは言え、教員個人としてはどう考えているのか。北鎌倉女子学園の長谷川世津子教諭は「幕府の支配権が東国だけでなく西国にも及んだから」と1185年を支持、県立深沢高校の内堀隆樹教諭は「寿永2年10月宣旨獲得にもとづく1183年を支持する」とする。栄光学園の壱岐太教諭の「頼朝の鎌倉入りから1192年の征夷大将軍就任まで段階的に私的政権から公的政権に成長したと捉えるので支持する説はない」という意見も見られた。
いずれにしても鎌倉幕府開府に関する高校の授業では、形成の過程を把握することに重点が置かれている。「イイクニ作ろう」と数字を丸暗記する時代は終わりを迎えたようだ。
鎌倉幕府の開府は本当は何年なのか―。2014年度から、6説が並列で表記される日本史Bの教科書が登場することになった。市内高校では今後どのように指導が行われるのか。アンケートを行った。
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