鎌倉のとっておき〈第3回〉 妙本寺ミステリー
祖師堂の北方、新釈迦堂跡といわれる高台に「源よし子の墓」があります。初めて訪れたとき、なぜ源氏の姫君の墓がここにあるのか不思議に思いました。
妙本寺は、比企館跡に建立された比企氏ゆかりの寺です。よし子は、またの名を「竹御所」あるいは「源鞠子」といい、2代将軍頼家の末子です。母は比企能員の娘若狭局。4代将軍として京から迎えられた藤原頼経の御台所でした。1234年、北条館にて頼経の子を死産し、自らも息を引取ったと言われています。生まれるはずであった子は、頼朝、摂関藤原氏、北条氏の血を受継ぎ、極めて重要な立場になることは間違いありませんでした。ただ、残念にも、生まれて来ることはありませんでした。
比企氏は権力闘争の過程で、1203年北条氏によって滅ぼされ、歴史上詳しく語られることはありません。よし子についても、実は、記録がほとんどないのです。
よし子と竹御所、鞠子は同一人物なのか。母は本当に比企の姫君若狭局なのか。そしてなにより、なぜ北条館を産所と定めたのか。今となってはことの真相を知るすべもありません。
妙本寺は何を語るでもなく、今日も季節の花がよし子の墓を飾るのみです。そしてもう一つ、比企一族の墓の裏手、大イチョウの根元に讃岐局供養塔があります。讃岐局と若狭局は同一人物と言われているのですが…。
(石井卓郎)
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