市内扇ガ谷の薬王寺にこのほど、「毒消(どっけ)し薬王菩薩」の像が完成し、3月21日に開眼法要が行われた。薬王菩薩像は江戸時代まで同寺の一角にあり、「さしのべさん」の名で民衆に親しまれていた。しかし明治期以降は行方不明となっており、像の再建は関係者の悲願だった。
民衆に親しまれた像
薬王寺は3代将軍家光の弟、徳川忠長を祀るなど格式の高さから、江戸時代には庶民が参詣することができなかった。そうしたなか境内の一角に設けられた薬王菩薩像だけは、身分に関係なくお参りできたという。
右手を長く差し出し、薬壺(やっこ)を持ったその姿から「さしのべさん」の名前で民衆に親しまれていたこの像。詳しい記録は残っていないものの、明治に入り廃仏毀釈が盛んになるなか失われたものと考えられている。大埜慈誠住職は「父や祖父から幾度となく話を聞いていた」として、像の再建は長く関係者の悲願だった。
再建が始まったのは2年前。大埜住職が制作を誰に依頼するか思案していたところ、知人に紹介されたのが市内岩瀬在住の現代彫刻家、齊藤寛之さんだった。
仏像を彫った経験はなかったという齊藤さんだが「仏教美術は日本人の心のルーツ。話を聞きぜひ挑んでみたいと思った」と話す。初めての顔合わせでは、集めた資料や複数のスケッチを持参。それを見た大埜住職は「誠実な人柄が伝わってきた。この人にぜひお願いしたいと思った」と語る。
「人々を癒す存在に」
特にこだわったのが仏像の表情。大埜住職は「薬王菩薩は人々を守るために、自らの体を燃やす苦行をしたと言われる。優しさのなかに凛とした強さを感じさせるお顔にしてほしかった」と二人で何度も話し合いながら細部を詰めていった。
齊藤さんは昨年春に制作に取り掛かり、仏像を約4カ月、台座を約2カ月かけて完成させた。3月21日に行われた開眼法要では、檀家らが見守るなか、仏像に「魂」が入れられた。
人々を救うために半歩踏み出した左足、差し伸べた右手は柔らかな丸みを帯びた薬王菩薩像。大埜住職は「もともとお寺は人々にとって癒しの場だった。この像も辛いことがあった時など、触れることで少しでも心が和むような存在になれば」と話している。
■薬王寺(扇ガ谷3-5-1)鎌倉駅から徒歩13分
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