市内材木座の光明寺境内に、60基近い墓碑が立ち並ぶ一画がある。江戸時代、磐城平藩(現在の福島県いわき市など)や延岡藩(現在の宮崎県延岡市など)を治めた、内藤家の歴代当主らが眠る墓地だ。
同家ゆかりのいわき・延岡両市の関係者が6月25日、墓地を訪れ「供養会」を開催した。
いわき市と延岡市は1997年、内藤家が磐城から延岡に移って250年に当たることを契機に、「兄弟都市」提携を結んだ。
その後、内藤家の墓地が光明寺にあることを知った両市の関係者が、99年に墓地の清掃と供養会を始めた。東日本大震災の年を除いて毎年行われており、今年で17回目となった。
この日、同寺を訪れたのは「いわき奉仕団」や関東近郊の延岡市出身者で作る「東京延友会」の会員ら約60人。本堂では法主の柴田哲彦さんらによる読経や供物の奉納、参詣者による焼香が行われた。
またいわき市の胡蝶会社中が同市の「じゃんがら踊り」や「いわきドントヤレ」を奉納。延岡の「バンバ踊り」が披露されると、同市出身者も飛び入り参加し、会場は笑顔に包まれた。
いわき奉仕団の吾妻孝二さんは「毎年、鎌倉を訪れて延岡市の皆さんと交流することが楽しみ。先祖を敬う気持ちを今後も伝えていきたい」と話していた。
内藤家墓地は、江戸時代初期にはすでに光明寺にあったことが分かっているが、詳しい経緯などは不明という。大型の宝篋印塔などが多く「代々にわたる墓碑を良く保存する大名の墓地として貴重」などとして、1962年に鎌倉市指定史跡となっている。
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