鎌倉のとっておき〈第30回〉 「健康食」ことはじめ
今も昔も私たちの生命の源である「食」。年間2千万人を超える観光客で賑わうここ鎌倉では、古くから市民に愛されている老舗からミシュラン星獲得店まで、それぞれが趣向を凝らしたメニューを提供しており、街の魅力になっている。
中世鎌倉の食事は朝夕の1日2回で、かの源頼朝も普段の食事は一汁二菜から三菜程度。夫人の北条政子は、正月など事ある時でも「粥、煮さざえ、焼き鯛、昆布煮、茹でた野菜」といった質素ながらもバランスの良いメニューだった。
当時の百科事典である『拾芥抄(しゅうがいしょう)』には月によって食べるのを避ける物(いずれも旧暦で4月は大蒜、9月は猪肉等)や、食べ合わせがよくない物が記載されている。「鯉と葱や鶏」「鮎と猪肉」といったものから、「胡麻と生菜」「餅と冷水」「胡瓜と酢」など、今では身近な組み合わせを含めその内容は多岐にわたる。
いずれにせよ、薬が一般的ではなかった時代。庶民においても身体を気遣い、毎日の食生活に細心の注意を払っていたことがうかがえる。
また、禅宗の発展に伴い禅寺発祥の自然の恵みを活かした精進料理が、ここ鎌倉から全国に広まっていき、次第に「庶民の食」となっていった。特に建長寺の開山・蘭渓道隆が考案した「けんちん汁」は、ものの命を活かす禅宗の教えから、大根やゴボウなど旬の素材の皮やヘタまでも無駄なく使い切る料理で、もともとの「建長汁」がなまったものと言われている。
自然の恵み豊かで禅宗文化の香り漂う古都鎌倉。3年後の東京五輪を控え、「食」の喜びや、その大切さ、尊さを世界へと発信できる街でもある。 石塚裕之
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