東日本大震災 茅ヶ崎市消防も現地入り 「緊急消防援助隊」として仙台市宮城野区へ
「東日本大震災」の被害を受け、全国規模の消防組織「緊急消防援助隊」が結成。茅ヶ崎市消防署は震災のあった11日夜、被災地の宮城県仙台市宮城野区に向け第一次隊7人が出発し、人命検索救助活動に当った。
発災直後、神奈川県隊(21消防本部58隊226人)が第一次隊として、派遣地の宮城野区に向かった。茅ヶ崎市からは消火隊5人、後方支援隊2人が11日夜に消防本部を出発、12日午後5時に現地に到着した。
海岸から約3Km、震災から30分ほどで大津波に見舞われた宮城野区は、もはや原型の分からぬ惨状。住宅や建物がわずかに残っているものの、辺り一面を海水が覆っていた。
被災地を目の当たりにした太田義夫部隊長(57歳)は「何百人もの人がこの場にいると聞いていた。生存している人を何とか救出したい、その一心だった」と思い、作業を開始した。しかし、足場の悪い被災地は歩いて進むのも困難なほど荒廃していた。
同じく第一次隊として派遣され、16年前の阪神淡路大震災の時にも出動した岸加寿美さん(36歳)はこう振り返る。
「阪神淡路とは全く被害の様子が違っていました。初めて津波被害を見ましたが想像を超えた変わりように驚いた」と話した上で、「活動中何度も余震があり、津波警報もでました。何とか民家の屋根に退避したものの命の覚悟もした」と真剣な眼差しで語った。
結果的にはこの津波警報は誤報に終わったが、署員らは自らの危険と背中合わせの中、救助捜索を行った。神奈川県隊の第一次隊の活動は15日まで実施し、3人を救出した。
この後、救急消防援助隊は二次隊(14日〜18日・24消防本部63隊236人)、三次隊(17日〜21日・24消防本部63隊241人)が被災地に赴き、同様の活動に励んだ。
神奈川県は現在、26の消防本部から消火、救急、救助などの区分で204の部隊登録があり、今回は、消防庁からの指示を受けて派遣、活動を行った。
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