第13回「香川」 茅ヶ崎の轍(わだち) 協力/茅ヶ崎市文化資料館
香川の由来は『皇国地誌』に「遠い昔、隣の下寺尾村に咲く梅の香が、小出川の流れに乗って漂ってきたことによる」とあります。
鎮守は諏訪神社で、同誌に1589(天正17)年信濃(現在の長野県)の諏訪大社を勧請したとあります。信濃の諏訪大社に上社と下社があるように、香川にも字篠谷に上諏訪神社、字東に下諏訪神社がありました。上社の跡地には1935(昭和10)年に建てられた神社旧跡の記念碑があり、それには1875(明治8)年に上社を下社に合祀したとあります。この時、下社の地に現在の神社が設けられました。
熊沢山浄心寺の入口左手には、三橋勘重郎の供養塔があります。勘重郎は、水不足に悩む村のために、駒寄川から篠谷を通って南に流れる灌漑用水を引いたといわれていて、この勘重郎堀の一部が今も玄珊寺の西側に残っています。勘重郎について『香川の歩み』には「香川村の名主だった。飢饉が続くなかで、領主の過酷な年貢要求に反抗したために処刑されたので、感謝した村人はその霊を慰めるために供養塔を建てた」とあります。しかし、彼の事跡は口伝えのみによって知ることができることから、今後の研究が待たれます。
【参考文献/茅ヶ崎市史1】
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